詩について考えてみた、が・・・

 しかし、詩の成り立ちを考えると、もともとは節をつけて声に出して、つまり歌うような形式であったようなものだったらしい。“吟遊詩人”などと西洋では呼ばれていたものがそれにあたる。日本では和歌を読み上げるときに、節のようなものをつけていた節(?)がある。和歌の原型とも言える“祝詞(のりと)”などがそうではなかったかと思っている。祝詞は神を讃える、あるいは慰撫することなどを目的としたものだから、ただ棒読みするだけではなく、少し抑揚をつけて景気よく朗読した。西洋では、詳しくは知らないけど詩はメロディーのようなものに合わせて語ったらしい。つまり歌っていた。ギリシャやローマ辺りではかなり長い物語を詩の形式で歌ったようだ。キリスト教の賛美歌だって同じようなところに原点があるのでないのかねえ。詩の定義なんてものがあるかどうか知らないけど、情景や心情を言葉にして表現するもの、だろうと思う。だから神さんにせいぜい捧げた後で、ちょいと隣のいいおねーさんやおに~さんに少しおすそわけのつもりでやった、これが受けたというところではないかと考えている。近代詩の原点などというものはそんなところから始まったのだったのよ(のが二つ続いているけど)、きっと。

 

 石川啄木と言えば100年以上も前に亡くなっている詩人で、「一握の砂」、「悲しき玩具」などの短歌集で有名だが、彼は自分の作るものを“新体詩”と呼んでいたそうだ。自己紹介の時にも“新体詩人です”などと言っていたとものの本にある。新しい時代の空気を何とか感じたい、表現したいという早世の詩人の叫びでもあったのだろう。確かにそれまでの和歌とは違ったざらついた言葉を、心の中から絞り出すように作られたものが多い。愚痴と借金だけが上手い若者ではなかった。今では啄木の名前もあまり聞かない。世の中が成熟してきたのか、あるいは鈍感になってきたのか、彼の言葉に共感する青臭い年代の若者は居なくなってしまったように思える。与謝野晶子は啄木の死に際して、「白玉は 黒き袋に隠れたり・・・」と悲しんだ。私そういう人々が居なくなったことを悲しむ。

詩についての自分なりの考えを纏めてみるつもりでいたのだが、相も変らぬ与太話となってしまった。でも詩というものがかなり力のあるアイテムであり、ヒトが生きていく上での必須アイテムでもあることが与太話を書いて再確認できた。どんな盆暗でも詩心はあるのだろう。だから艶歌も歌謡曲フォークソングもカラオケでがなり立てられるのだ。KポップだってJポップだって同じだ。おそらくギリシャの吟遊詩人にうつつを抜かしていた人たちや、家持や定家のように“歌”を心の、時として生活の拠り所にして生きた人たちも、私たちとそれほど変わらない感性を持っていた、などとは思わないけれど共通した部分が少しはあるのだろう。ヒトという生物が持っている原始的なリズム、例えば心臓の鼓動や歩く、走るといったものが、言葉という媒体を通して形作るある種のオーラというか、共同幻想のようなものを紡ぎだす、それが詩ではないかという与太を結論としてこの考察を締めくくりたい。