話はがらりと変わり、壺を買ったと言う展開になるのですが、そもそも壺なんてものは現在ではすでに本来の用途として使われることがほとんどなく、主に観賞用として、それも年寄りの趣味の相手を務めるものと相場は決まっているようです。私もまぎれもない年寄りなので壺にそれなりの興味はあるのです。私の好みとしては入り口の狭い、下に行くにつれて丸くふくよかになっていく壺が好きで、小遣いの範囲内で買えるものをいくつか持っています。野々村仁清という江戸前期の陶工の壺は美術館に展示されているレベルのものです。小遣いで買えるような代物ではなく、ガラスケースの向こうにあるのが普通です。しかしこの仁清という陶工の作品は人気が高く、したがって贋作も多く、確か東博に所蔵されている壺もそんな疑いがかけられたこともあった、ような記憶があります。仁清は壺だけではなく茶道具も多く作っていて、仁清写しというものが現代でも多く作られていますから、比較的安価で仁清の雰囲気を味わうが出来ます。

 前置きはこれくらいにしますが、実は私も仁清を買ったのです。もちろん偽物ですが仁清の刻印のある豆壺を買ったのです。高さが8センチに満たない小さなものですが、堂々としたその壺ぶりが気に入って買いました。一般的に言って仁清の作品は端正な形状で艶やかな色使いのものが多く、私の買った豆壺はおよそ仁清らしくありません。まあその辺りも気に入ったのですが、江戸時代の頃から仁清の贋作と言われるものは多く作られ、ただ当時は贋作というよりは一種の流行のような、偽物を作るというよりは流行りのものを作っていたと言ったような状況であったと言われています。ですから私の豆壺もおよそ仁清らしくないのですが、ちゃっかりと底に仁清の刻印が入っているという次第です。年代的には江戸後期か明治期のものであろうと推察しているのですが、素人目ですからはっきりとはしません。ただこんな小さい豆壺が今の時代まで残されてきたというのは注目すべきことで、もし仁清の刻印がなかったならおそらくごみとなっていただろうと思われます。どこのだれが作ったものか分かりませんが、それなりの腕を持った職人が、面白半分に作って遊んだものなのでしょう。仁清の刻印入れたことがこの豆壺の寿命を今日まで永らえさせてきたのです。ネットの通販で大阪、堺の古道具屋から私の手元に来たこの豆壺を、私の寿命がなくなるまでは大事にしようと思っています。そこから先は壺の運に任せます。さて、この“仁清”の値段ですが、今が旬のシャインマスカットの大きめの一房ほどの値段でした。もし仁清の本物だったらシャインマスカットがどれくらい買えるでしょうかねえ。