小説「抱擁」のこと

 “小説家は見てきたような嘘をつく”と言いますが、今度もすっかり騙されました。A・S・バイアットの「抱擁」のことです。とにかくやたらと読みづらく、文中に詩人の詩やら書簡がふんだんに挿入されているのです。これが小説の本筋とどうかかわるのか、この詩人はそんなに有名なのか、私は全く知らなかった、なんとも恥ずかしい・・・、などと思いながら読んでいました。あまりに知らない名前ばかり出てくるので、ネットで調べました。そうしたらあなた、文中出てくる詩人は作者の創造で、当然のこととして詩や書簡も作者が書いたものだというではありませんか。この本はすでに映画化もされており、DVDも発売されていました。小説家の頭の中はどの様な構造になっているのか、どうも実に呆れてしまうほど別世界なようです。
 推理小説仕立てなのであらすじや結末は書きませんが、こういった形の話の筋立ては始めてでした。イギリスの作家らしい意地の悪さもよく出ていて、また細部に拘るしつこさも、皮肉屋の面目も充分に発揮された小説でした。日本の作家も少しは見習ったら如何でしょうか。
「抱擁」という題名が適当でないと言った意見がネットにありました。原題「Possession」は訳者も解説で書いているように、<取り憑かれる>と言った意味が作者としては第一義的にあるようだが、それに対応する日本語の適当な訳がなかった、と言い訳しています。どうやら編集者が提案した題名をそのまま採用したようです。たしかに辞書など見ると、原題に抱擁などという意味はまったく無く、「所有」、「占有」「入手」などの外、考えや悪霊に「取り憑かれる」の意味が掲載されています。私もこの「抱擁」という題名にはやや違和感を持っています。「Possession」という原題が本の内容とどのようにつながるのかはここでは言えませんが・・・。
 19世紀のイギリス社会の、今から考えるとまだるっこい気持ちのやり取りが(ハリウッド映画の「めぐりあう時間達」を観た時のことが想い出された)好きな人にはうってつけの、とにもかくにも面白いが読みにくい本でした。

椅子と抱擁