神、貨幣及び国

 ヒトの世界では「神」という存在が長い間信じられてきたのですが、19世紀後半辺りから“ほんとかよ?”と思うヒトもちらほら現れて、20世紀になるとかなり本格的に無神論が言われるようになります。神や仏、あるいは悪魔、幽霊などはヒトが創り出した概念であって、ヒトが信じれば存在するし信じなければ存在しない、要するに“イワシの頭も信心”というレベルのもの、と私は考えていますから信仰や宗教とは無縁の生活をしてきました。

 「神」と同じような概念で「貨幣」というものがあります。これもヒトが創り出した概念で、最初の頃は希少金属の金であったり銀であったりもしたようですが、そのうち大量に作ることが出来る金属に変わり、さらに印刷された紙になり、今ではスマホの中の電気信号が主流となりつつあります。同じ概念でもこの「貨幣」は「神」と違って具体性があり無視して生活することは出来ません。物々交換がまったく出来ない訳ではないでしょうが、実生活ではほとんど不可能なシステムで、「貨幣」という概念に頼らざるを得ないのです。

 同じようなものは他にもあります。「国」というものも概念です。玉を囲んだものが国という字ですから、宝石、この場合は王ということでしょうか、それを中心に据えたものが「国」という概念であり、この王を中心としたヒエラルキー構造を国と呼ぶようになったのでしょう。今では言語とか人種、習慣などの共通した集団をまとめた組織などを「国」としているようです。まあ厳密にはいろいろ定義があるようですが、ヒトが決めた概念であることは間違いないのです。共同幻想とも言えます。

 だからと言う訳ではないでしょうが、神も貨幣も国も新参者がたびたび現れます。新興宗教や独立国、新通貨などです。要するにこれらはヒトが勝手に創ることが出来るものであり、絶対性などはないということになります。こんな不確かなものに命を懸けたり全財産をつぎ込むのは莫迦げたことだと思うのですが、往々にしてヒトはこれらに捉われます。もしヒトがこの三つに捉われないのであれば、アラブの紛争や経済格差、そして今も進行しているウクライナでの戦争も回避できるのにと思ったりします。