規格外

 昨日は「慣例」について書きましたが、枠に嵌らない、しきたりに捉われない、はみ出し者などのことを「規格外」の人物と言います。天才といった呼び方をする場合もあります。“アップル”のスティーブ・ジョブズさんが5日に亡くなったことが世界中でニュースとなりました。私はジョブズの信奉者ではありませんので、特別な感情をもってこのニュース受け止めた訳ではありませんが、規格外の人が地球上から一人居なくなったことの寂しさは感じます。
 世の中にはこういった規格外の人物が時々出てきて、物事をドラスティックに変えたり進めたりします。レオナルド・ダ・ビンチ、アイン・シュタイン、キリストや釈迦、マホメッドなどもこういった部類の人物だったのでしょう。もっと卑近な例で言えば、信長や秀吉、井深 大、本田 宗一郎なども規格外という点では同様だと思います。そして、こういった規格外の人物を思う時に、「民主主義」という仕組みがいかに無能で邪魔なものかと感じられるのです。規格外の天才が出てくればやること為すこと全てうまくいく、などということはありません。しかし幾つかは飛躍的なことをやってしまうことが多いのです。スティーブ・ジョブズがアップル社内でやったことの幾つかは成功し、幾つかは失敗しました。しかしその成功したものの中には、今までの概念を変えてしまうものがありました。iPodやiPadはそういったものでした。ソニーウォークマンを創ったようにジョブズはiPodを世に出したのです。社内でのジョブズはかなり強引、専制君主だったようですが、これが“皆さんのご意見をお聞きして・・・”などとやっていた日にはウォークマンを超えることは出なかったと思います。
 「天才はみんなやってしまう」ということ耳にしますが、全くその通りで彼等はやれる事はみんなやって去っていくようです。ジョブズさんも悔いは無かったでしょう。

規格外です これも。