ヒトの未来について

   ヒトという種族が地球上に現れてからすでに20万年以上経過しているだろうと言われています。この20万年という時間は地球史的に見れば、例の地球時計1年の12月31日23時30分を少し回ったあたりから24時までの時間であって、さらにヒトが文明らしきものに関わるのは除夜の鐘がつき終わる少し前といった、現在からみればほんの一瞬程度の経過でしかない訳です。ヒト以外の種族の存続平均時間がどの程度あるか知らないのですが、長い種では1億年以上、あの恐竜たちは8千万年ほどで絶滅、それも隕石の衝突というアクシデントによるイレギュラーな絶滅でした。短いものは数千年あるいは数万年程度ではなかったでしょうか。しかしそういった短い時間しか存在できなかった種は化石にも残らず痕跡そのものが無いので何とも言えません。ヒトの20万年という時間は地球史的に見ればほんの僅かですから、これからさらに変化して行く可能性があるとも言えますが、ヒトのように急激に増加した種は絶滅もまた急激に起こるケースが多いようです。だとすればそのあたりはかなり未知数と言えます。

ヒトが発生から現在までに獲得した数々の能力のうち最大なものは脳の機能であると言えるでしょう。ヒトの脳の容積は他の動物と比較して大きく、体重との比率も群を抜いています。しかしその機能の大部分は休眠状態と言われています。その理由は今のところ不明のようですが、あまりに急速に肥大化したために利用できないでいるか、もしくは取捨選択をせずに何もかも詰め込み後で整理する、言ってみれば現在は整理中なのではないかと思われるのです。ヒトという種族の強欲さを考えるとき、整理には時間がかかり余分な機能をいつまでも抱えてしまう、そんな未来が予想されます。また整理されていない脳の機能はバグをたびたび起こしやすいでしょう。機能不全に陥った人が多く出ることもそれらのことを裏付けているような気もします。

 ヒトが他の種と異なる点として挙げられるのは、時間という概念を獲得したことではないでしょうか。これは脳の機能を活用することで生まれたものです。長さや広さ高さを概念として認識する種は哺乳類の他にも、魚類や爬虫類、鳥類それに昆虫や微生物だって持っている概念あるいは感覚です。樹木や草などの植物は動物と違って動き回らないからそういったものは必要としなかったのでしょう。まあ線虫や細菌に同様のものがあるのか私は知らないのですが、いわゆる3次元という空間認識ができるのは動き回る種、動物に限られるのではないかと思っています。しかし時間という概念になるとヒトに一番近いとされるチンパンジーでさえ疑問符が付きます。恐怖や危険を察知できる能力は、過去の経験の記憶がものを言います。哺乳類の中でも比較的に脳の発達したサル族や犬族、猫族などの高等哺乳類はかなりの記憶量が脳に保管されていると思われます。ですから時間という概念が全くないかというと、少なくとも「過去」という時間に関しては一定の理解と感覚を持っているのではないでしょうか。しかし「未来」という時間に対する認識はないと思われます。これは私の家で一緒に生活している猫に尋ねたところの結論ですからあてになるかどうか、今一つ自信は持てませんが。とにかく、過去、現在、未来という時間認識をできる種はヒトを除いてこの地球上には居ない、と考えて差し支えないでしょう。

 そこで、ではヒトの未来はどんな状況になるのだろうということですね。思うに、時間という概念を獲得したヒトは、その時間に縛られ、振り回される状況に陥ってしまったと言ってよいでしょう。つまり他の種がのびのびと、未来や過去に捉われずに生きることができるのに、ヒトは様々な不安や心配ごとに心を煩わされて、著しく精神の不安定な生活を送らざるを得ないようになっています。乳幼児期の頃は、ヒトも他の種同様に生きることに無自覚で、ただ目の前にある現実を受け入れるだけの生活を送っています。考えてみれば、この生活に何の不都合があるのでしょう、何もありません。つまり時間などという概念は、言ってみれば余分なものでしかないのです。しかしすでにヒトは時間というものを前提にして生活するようになっていますから、時間軸を無視した生活を送ることが出来ません。まったく面倒なものを採用したものです。

 ヒトと他の種との大きな違いは繁殖行動についても顕著です。言うまでもなく繁殖行動は種の存続にとり欠かせないもので、このためにすべてをかける生き物が殆どと言ってよいほどの本能行動です。ところがヒトはこの行動を繁殖とは切り離して行うようになりました。性行為を繁殖と切り離す行動はサル族の中にも一部見られるようですが、ヒトのように完全に切り離して、性行為そのものを楽しむ快楽として行う種はほかに見当たりません。私もヒト族の一員ですから、のべつ幕なしに発情するヒトの気持ちが良くわかり、困ったものと思わなくもありません。しかし、脳の発達によって繁殖と切り離された性行為は、ヒトの精神活動にも大きな影響を与えています。依存症や変態行為を伴う精神疾患などは、単なる“イロキチガイ”では済まされない深刻な社会病とも言え、繁殖と性行為という単純かつ明快な関係性を、ドロドロぐっちゃぐちゃなヤバい世界に発展させてしまったのです。まあそう言った世界に興味や関心を示す、あるいは経験してみたいなんて言う軽はずみな人たちも少なからずいることも事実で、商売さえ成り立つという実にこの嘆かわしいというか、なんというか、エライこととなっているのです。

 それはともかく、20世紀の中盤から後半にかけてのヒトは、明るく豊かな未来を疑いませんでした。それは科学技術の発達と医療の高度化、食糧生産の安定などに支えられたものでした。また気候的にも温暖で恵まれた時代でした。穏やかで自然災害も比較的少なく地球史的に見ればほんの一瞬ではあるのですが、ヒトにとっては安定期と言ってよい時代が長く続いたと言えるのでしょう。また同一の種同士が殺しあうという「戦争」も、小規模のものを除けば起こらず、したがって人口は飛躍的に増大しました。近々世界の人口は80億に達するという予想がつい最近出ましたが(確か11月15日に80億を超えた)、20世紀に70億となった人口が1世紀を経ないで10億人も増加する、人口爆発とも言える状況にヒトが種として耐えられるのか、この一点だけでも甚だ疑問なのです。地球上の生物は現在その多くが大量絶滅期に入っていると言われています。そして大量絶滅の原因の主なものがヒトの爆発的増加にあると、少なからぬ研究者が指摘しているのです。私たちの未来は累々たる絶滅の上にあるのでしょうか。

 地球温暖化やSDGs、食糧危機、果ては新型ウィルスへの対応など、ヒトが抱えている問題は大げさではなく“山のように”あって、残念ながら多くの課題に解決策が見いだせていない、あるいはすでに手遅れとも言える状況になっています。人類と呼ばれるヒトの集団は、全体でみれば無政府的な統制の取れていない集団と言えます。代表的な国際組織としての国連も肝心なところで無能ぶりを発揮して存在感を薄くしています。軍事的な同盟はそれなりの強制力と統率力を持っていますが、部分的であり戦争状態に対応したもので日常生活全般には機能しません。気候変動が地球温暖化に重大な影響をもたらすことは周知の事実ですが、COPなどの国際会議でも各国の利害が優先してしまい、有効な具体策は後送りとなることが度々です。詰まるところ、ヒトはサルの一派であり自分たちの集団以外の利益については無関心であるという習性が、いまだ克服されていないレベルに留まっているとしか思えないのです。したがってヒトの未来は絶望的であるという、いつもの結論しか思い浮かばない実に困ったこととなっています。