解き放つ

現代生活の中でストレスをどう克服するかは、きっと何よりも重要な課題となっているのではないと思われます。「身体(からだ)も精神(こころ)も自由に解き放って・・・」などとよく言われますが、そうしたことが必要と分かっていても、具体的にはどのようにしたら解き放てるのか、その辺の問題で二の足を踏んでしまうことも多くあります。
ヒトが歌や踊りを始めたのは、おそらく喜怒哀楽を表現する手段としてではないかと思うところがあります。それが神への儀式となって発展し、フィードバックして巷で広がった、とまあこんな推測をしているのです。だとすると、歌や踊りはこの「解き放つ」ことにかなり有効な方法である思われ、世界中で例外なく行われている歌舞音曲は、ヒトの生活を維持していく上での自然の営みであったろうし、この国の盆踊りや祭りも神への捧げ物というよりはヒトのために行われていたのでしょう。
でもそこまでわかったところで、突然踊りだしたり歌いだしてはいろいろあちこちから苦情が出たりするから、カラオケ店やその昔であればディスコなどに行って、ヒトは「解き放ち」を試みたりしたのです。私は耳にイヤーホーンを差し込んでiPodから流れてくる音楽を聴きながら散歩していますが、他人がいないことを確かめてから突然踊りだすことがあります。別に気が狂った訳ではなく、リズムに合わせてステップを踏んだり手を振り回すだけです。これをやるだけでかなり解放されます。オーケストラを指揮することもあります。まあいい歳をしたおっさんが、突然手を振り回したり足をバタバタさせるのを見た人はびっくりするでしょうが、取りたてて害もないから迷惑にはならないと思っています。You Tubeで水着姿のオネーサンが、マシンガンやライフルをバリバリ撃っている動画を流しています。あれも「解き放って」いるのでしょうか。確かに気持ちは良さそうですが、平和的ではないような気もします。アメリカはストレス大国ですから踊るぐらいでは解消しないのでしょう、やばい国ではあります。
 
解き放っている私