三日目

昨日に続いて『人新世…』の絡みです。

 要するに、経済的理由で生理用品を買えない女の子が出てきてしまうような事態が、なぜ21世紀の先進国で起きてしまうのかということを、真剣に考える、そしてその解決法として「資本論」があると斎藤幸平さんは本の中で書いています。これには私も驚きました。いまさらマルクス資本論はないだろうと正直のところ思っていたからです。彼に言わせると今流行りの“SDGs”などはまやかし、「大衆のアヘン」と言うことになります。

 1970年代に始まる”新自由主義経済理論“などによってアメリカやイギリスでは経済の規制緩和、福祉政策などの切りつめが盛んに実施されました。日本ではあの小泉政権が、”新自由主義“でアメリカべったりの竹中平蔵を重用して進められました。今日の日本の格差社会はこの時に始まったとも言えるのです。小泉純一郎という政治家はなぜか国民的な人気があって、バブル景気に浮かれていた引け目もあり国民は彼の政策を容認してしまいました。世界の60名だか70名だかの超富裕層が所有する富の総量は、世界の下部50パーセントの所有する富に匹敵するといった調査もあり、世界的に見ても格差社会は深刻な問題となっています。マルクスが指摘した資本主義の欠陥は最近において顕著になっているとも言えるのです。

 斎藤先生(彼は大阪市立大の准教授)は現在の格差社会を打ち破る唯一の方策が「脱成長コミュニズム」と提唱しています。う~ん共産主義か・・・とこの時点でアレルギーがでてあちこちむず痒くなる人も多いと思われますが、「成長戦略」という幻想はすでに破綻していることがはっきりしている現在では、共産主義の基本理念の一つでもある「使用価値経済への移行」や「生産手段の共有化」といった課題について再吟味する意味は大きいと思われます。なぜなら格差社会はこの二つの課題と密接に結びついていると考えられるからです。まあそれやこれやで『人新世の「資本論」』は面白かったのでした。私もあと30年ほど若ければ一旗揚げようかと思ったのですが、如何せん寄る年波には勝てません。