“新型コロナ”で見えたもの

    世界中での感染拡大が続いている新型コロナウイルスだが、いままでぼんやりとしか見えてなかった問題点が顕在化してきたと思える。なかでもヒトの経済活動がもたらしている自然環境へのモロモロのデメリットは、具体的で可視化された事象となって私たちの前に現れている。大気汚染、水質汚染、自然破壊などは、論より証拠とばかりにその実態を示し、たった1,2か月の経済活動が低下しただけで空も水も驚くほどに綺麗になって、星が良く見えたり運河に魚が戻る、また野生動物が人通りの少なくなった町中に姿を現したりしている。普段から先進国の生活環境の中で暮らしている私がこんなことを言っても説得力がないことは承知しているが、ヒトの行き来や経済活動がこれほどまでに環境に悪影響を与えているのを、新型コロナウイルスはまさに実感させてくれた。これを契機にヒトは生活のパターンを変えるべきではないか、と妄想する。

    なぜ妄想かと言えば、そんなことは今までに限りなく言われ繰り返されてきたからだ。20世紀に生まれた私は、未来に対してはかなり楽天的な考えのもとに育った。ヒトにとっての豊かさが物質的なものだけでなく、精神的にも時間的にも豊かであることの大切さが声高に叫ばれ、むしろ物質的なものは豊かさの障害となりうる場合があるとまで言われた。21世紀はヒトにとっての本当の豊かさを追求する世紀となるはずだった。ところが21世紀は幕開けのニューヨークでの衝撃的事件に始まって、今年の新型コロナウイルスの世界パンデミックまで、どうもバラ色の未来は描けそうにない事態が続いている。

   今年2020年は東京オリンピックが開催される予定だった。1年の延期によって“あと○○日・・・”と言った開幕前の騒々しさで辟易する毎日が避けられたのは良かったけれども、来年の開催があるとしてもケチのついた大会が盛り上がりに欠けることは容易に予想されるから、いっそ中止になればもっと好ましく“コロナガンバレ”などと不穏な思いが頭をもたげそうにもなる。仮に来年のオリンピックが開催されないとなると、この国の経済的打撃はかなりのものだろうし、新型コロナによる影響と重なり戦後最大の不況と失業をもたらす事態となるだろう。おまけに東南海地震や風水害の発生ともなれば、これは想像を絶する状況が考えられて、ますますこの国の21世紀は深刻な危機を孕んだものとなるに違いない。日本がそのような状況に陥れば世界への波及効果は計り知れず、20世紀初頭のファシズム台頭の引き金となった世界恐慌と同じような政治経済の状況が生まれてしまい、「戦争の世紀」に再び突入することだって十分に考えられる。私が今世紀の最後を見ることは出来ないけれども、ひょっとするとこれから生まれてくるヒト達はとんでもない時代に生まれたことを恨むかもしれない。

   そんな時代から逃れる道は、今を契機に生活を変えるしかないのではないか、と思う。