AIとどのように付き合う

 つい最近のニュースで、ある県では児童相談所での児童虐待の危険性を判断する手段として、試験的にAIを使って行うとの報道があった。このソフトは厚労省が開発したものらしく、実験が成功すれば全国で活用したいとのことだった。これを聞いて、いよいよAIがヒトのもっともヒトらしい領域に踏み込んできたと思えた。SFでは人工知能の判断によって世界が運営される、ヒトはその判断に従う、という筋書きが一般的なのだが、あれはあくまで物語の中の話、フィクションと高をくくっていられる時代は終わるらしい。

 AIが膨大なデーター処理を瞬時にして行い、ヒトより的確な判断を出せることはある程度まで予想されていて、いずれは多くの分野でAIによる判断、診断が一般化するだろうと思われている。しかし今のところ、AIの判断はあくまでヒトの判断の参考というレベルでとどまっている。ただしそれは過渡的な事象とも言え、いずれはかなりの高度な判断までAIが受け持つことは間違いないだろう。次世代型と言われる量子コンピューターが現実的な利用段階となれば、ヒトの判断や思考をも凌駕するAIが生まれるだろう。それもそう遠くない未来と予想される。ヒトの脳の仕組みがあらかた解明されている現在では、膨大なデーター処理を高速で行えることさえクリアーすれば、それらは可能だ。

 となると、あたしら凡俗はどうなるのでしょう。まさかB級SF映画のような肉体労働組と頭脳労働組に選別された社会になって、凡俗はAIのご指示通りに働き生きることになる・・・、ということもないだろうが、“選別”はともかく、AIにかなりの判断を任せて暮らすことは必ず起きるだろう。まず楽だしその方が、失敗も少なく効率も良い。もともと凡俗は自分で物事を考えたり決断したりすることが苦手だし、「下手な考え休むに似たり」などという諺通りの傾向があるから、これはきっとそうなるとの確信が、残念だが揺るがない。

 まあ、考えようによってはそれも一興で、土台ヒトの大部分は烏合の衆とも言えるから、生活に困らず、そこそこの暮らしが出来ればAIにお任せでも一向に困らない、と言ったマジョリティは成立するだろう。貧困や差別、南北問題や環境や人種や宗教問題なども、AIにお任せすれば解決点を見出せるかも知れない。AIは神に変わる存在(居ればの話だけど)となって世界に君臨することだって考えられる。膨大なデーターとバイアスのかからない演算によれば、人智の及ばぬ結論が導き出されることだってある?・・・かなあ・・・。

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私はAIより進んでいる