梅雨となりました。

 一昨日から梅雨に入ったようで、今日は早速晴れています。まことに結構な具合と申せましょう。そこで今日は“サルにも人権を”という妙な話を一つ。
 先日TVのニュースでチラッと見ただけなので詳しいことは分からないのですが、オーストラリアかどこかで、実験用に使われるサルにも人権が適用されるべきという裁判が行われている、との話があったのです。動物愛護という観点からは、以前より実験で使われる動物に対して反対する団体があり、犬や猫、マウス、モルモットなどサル以外の実験用動物も反対の対象となっていることは知られています。その中でなぜサルだけが裁判まで起こして人権の確立を必要とするのか、この辺りやや理解に苦しむのですが、おそらく類人猿でもあり知能も高い動物であることがその理由となっているのではと思います。クジラやイルカの保護が叫ばれる理由と同じほぼ同じなのでしょう。
 最初にも言いましたが、この件については詳しくは知りません。ですがこの手の話に付き纏う勝手な思い込みにはいまいち同意できないでいます。知能というものがすべての判断の基準となるのであれば、とどのつまり「優生学」に行き着くとも考えられるのです。まあ正直に言えば、ヒトに関しては「優生学」もありかなと思う時が無いこともないのですが、そう言っちゃあお終いですから、出来るだけ“馬鹿も使いよう”という、もちろん私も含めての“利用価値”を認めた世界がアラマホシイとは思っています。これもよくは知らないのですが、仏教には「輪廻」なるものがあってヒトも虫も同じ土俵の上で生きています。キリスト教は神が居て、その使いが居て、その下にヒトが居て、その他の動物はヒトのために居るといったように考えると聞いたことがあります。だからヒト以下はヒトの知能が基準となり、それに近いものからランク付けがあるのでしょう。「保護」という思想はあくまで優位者が行うものであるのですから、やはりキリスト教社会の発想となるようです。まあ“神の下では皆等しい”という教えもあるようですから、「優生学」とキリスト教は相いれないとも言えますが・・・。
 話はサルの“人権”に戻り、その後その話がどうなったのかつまびらかではありません。未だ裁判中なのか判断が下されたのか、どうもTVはこのブログと同じで尻切れトンボのことが多いのです。

動物実験反対