そもそも集団的自衛権なんてあるのか

自衛権」については政府の見解としてかなり前から固有の権利であるとか言っていまして、例えば個人が暴力を受けようとした時あるいは受けた時に自衛するのは当然の権利で国も同じように自衛の権利を持つという、国と個人を一緒くたにして分かったような解らないような議論のすえに結論を出してきました。「自衛隊」という名称も“自衛権を行使する軍隊”という意味なのでしょう。「警察予備隊」が1950年に発足し、翌々年の52年には「保安隊」に改組、そのまた翌々年には「自衛隊」として本格的な軍備を備えた組織として登場するのです。
しかし新憲法には第9条というとんでもない重しがあるので、口が裂けても軍隊だとか軍備などと言う訳にはいかず、戦車は特車、軍備は装備などと言い繕っていました。それに自衛のための「組織」ですから、もっぱら日本国内をその行動の対象としていたのですが、たしか小泉内閣の時にPKO法なるものを成立させて、自衛隊の活動範囲を飛躍的に拡げて国外活動を可能にしたのだったと記憶しています。アメリカに“旗を見せろ”と言われたりしたのがきっかけとなったと言われています。この頃から集団的自衛権なる概念が持ち出されてきたのではなかったでしょうか。同盟関係にある国の利益は私の利益と言う訳です。けれどもPKOでの自衛隊の出動は、あくまで非戦闘地域での活動に限定されるとの政府見解があり、世界の列強の一員としては今一つピリッとしたものに欠けると常々思う、そして“地球を俯瞰する”ことにご執心の宰相にとっては今一歩進めた“わが軍”の利用法が必要となっていたのでしょう。
同盟関係にある他国との一蓮托生的な集団的自衛権の考えは、自らの主権を放棄するものであり憲法第9条の精神を踏みにじる行為であると言わざるを得ません。そもそも国の交戦権は憲法によって否定されているのですから、他国の都合によって私たちの国が戦争に参加する集団的自衛権などあり得ないのです。友人の喧嘩に首を突っ込むのはあくまで仲裁であり、一緒になって喧嘩することではないのです。

そうだ そうだ。