今週は政治がらみの話題ばかりで終わりそうです。

集団的自衛権」、そもそも自衛権に集団も個別もあるのかと思ったりもしますが、今や今年の流行語大賞にでもなるかのような露出度で頻繁に使われています。
ご案内のように、この国には戦争と武力による紛争解決を禁止した憲法第9条というものがあり、その事が1945年8月15日以降、曲がりなりにもこの国が戦火を免れてきた、或いは直接戦争をせずに済んだ拠り所とも言うべき盾となってきたのは間違いありません。しかし歴代自民党内閣は、その時々の様々な解釈を憲法第9条に対して貼り付けて、武器を持つ集団をつくり、自衛隊という世界でも有数の軍隊を育て上げました。しかし憲法第9条はその自衛隊が使う武器の種類にもさまざまな制約を課してきたのです。自衛隊の前身であった警察予備隊では小銃などの軽微な武器が中心でしたが、その後自衛隊となって戦車、大砲、戦闘機、自衛艦という名の軍艦から今ではミサイルまで、およそ軍隊に必要なすべての武器が装備されています。けれどもそれらの武器は”あくまで自衛のため“という冠を常にかぶせられ、またその使用については厳しく制限されていました。言うまでも無く憲法第9条の”重し“があったからです。
この憲法第9条を「閣議決定」という単なる内閣の意思決定のみで勝手に解釈してしまう、立憲主義を根底から否定する行為が「集団的自衛権の行使容認」と言われるものなのです。日本国憲法の理念、第9条の目的からはどのように捻ったところで、他国の戦争に参加して銃火を交えることなど出来ません。本来「解釈」とは解釈すべきその文言に流れる理念に沿って行われるものであり、解釈する側の都合によって勝手に出来るものではないのです。まして今回の「行使容認」にあたっては、非現実的な事例の羅列をその根拠としています。中でも“アメリカの艦船に日本国民が乗艦して避難する場合”などというあり得ないケースさえも、さもありそうな事例として安倍首相自らが説明するなど、常軌を逸したものとして軍事専門家からも批判される始末です。
安倍内閣は7月早々にもこの集団的自衛権の行使を閣議によって容認する方針です。国会閉会中という中で行われる閣議決定は、まさに立憲主義を踏みにじる行為の象徴とも思えます。

意味も無く黄色のバラ