道具の話

ヒトがヒト以外の動物と大きく異なるところは幾つかありますが、道具を使うということもその一つでしょう。「2001年 宇宙の旅」という映画の一シーンだった思いますが、サルが骨を手に持ち何かを壊すかする場面があったように、手を使って手以上の効果をもたらす方法を考えついたその時から、ヒトはサルから一歩抜きんでたと言われます。その後さまざまな道具を創りだして今日に至っているのですが、そういった原始の記憶が私たちのDNAには残っているらしく、道具を見ると何かウズウズするというか、使いもしないものまで欲しくなるのです。こういった傾向は男に多く見かけられ、休日ともなるとホーム・センターなどにはオジサン、オニーチャンがいっぱい群がっています。
言うまでもなく私もその一人で、“東急ハンズ”などと言うとんでもない店には始終入り浸っていた時期もあります。当然家には使いもしない道具類が数多くあり、いつ使ったか記憶もない万力とか、タガメ、車のオイルフィルター交換用の道具などなど・・が埃をかぶって転がっています。買う時には使うつもりで、あるいは何時か使う時はあると思って買うのです。日曜大工用の工具などは鋸やトンカチから始まり、ノミ、キリ、カギ尺、墨壺まで買ったこともありました。電動工具なんて言う代物が出回ると、もうこれは歯止めがかからず、丸ノコ、かんな、ジグソー、サンダー、ドリル、そしてスライド丸鋸まで買ってしまうという嵌りようでした。それでも大工仕事はベッドやらテーブルなど具体的な成果もあったからまだ言い訳できるのですが、中でもナイフなどはいまだ一度使っていないものが殆どで、単なる飾りでしかないのですから道具というよりはコレクションの類と言えそうです。
道具がなぜそれほどまでに気を引くのか、きっとヒトによりその辺りの理由は様々でしょうが、私の場合はその形に有るようです。道具の持つある目的に特化した形というのに魅かれるのです。例えばナットを締める時に使うラチェットレンチという道具がありますが、あの形状、金属の光沢、回した時のカチカチという音、“スナップ・オン”などというブランド物でなくとも魅力的です。楽器なども道具のうちですが、ギターなどは立てかけておくだけで惚れ惚れしてしまいます。まあこれも病気の類かも知れません。

愛鷹山トウゴクミツバツツジ