明日、また明日また明日と時は小刻みに・・・

まったく因果なことで、何が面白くて政治家商売などをしているのかと、傍から見ていると思うのだけれども、ご本人たちは不眠不休、国家天下のために邁進されているとの思い込みがあるから、私のような市井のぼんくらには理解できないことばかりです。
政治とは“まつりごと”とも言いますから、お祭りごとの好きな人たちにとっては堪らない、飽きの来ない日常の連続のようなものなのかも知れません。下は村会議員から上は国会議員まで、立法府の人たちはこの国の政治に携わり、私たちの生活全般を左右する責任を負うと自画自賛していられるのでしょう。ですから少々の個人的問題などは棚上げにして粉骨砕身、あっちに頭を下げこっちに笑顔を振りまき、やれ後援会だ地元の有志の集まりだと分刻みで動き回り、疲れも見せず、嫌みも言わずに、ただひたすら次回の選挙で落選しないように、まあ言ってみればご自分のために東奔西走、神出鬼没、櫛風沐雨する毎日でも、文句ひとつ言わずに過ごされていると思われます。挙句の果てに、団扇と観劇で大臣の椅子を棒に振ったりするのですから、結局のところ、“ついには歴史の最後の一瞬にたどりつく”訳で、味噌も糞も一緒の世界に居られる悲劇に、ただただお嘆きのこととお察しするばかりですが、しかし何とも低次元の世界であることか、とも慮る訳でもあるのです
表題の“明日、また明日・・・”は「マクベス」の中の件(小田島 雄志訳)ですが、その後に続くセリフは、“人生は歩きまわる影法師、あわれな役者だ。・・・・わめき立てる響きと怒りはすさまじいが、意味はなに一つありはしない”となるのです。議員先生たちもあちこちでいろいろわめき散らしますが、やはり哀れな役者の一人でしかないのでしょう。しかし高い木戸銭(税金)を払い、下手な政治劇を見せられる私たちはたまったものではないのです。

うー マクベスは眠りを忘れた・・・