花も紅葉もなかりけり

今年の秋はどうやらせっかちのようで、かなり足早に来ていると思われます。例年であればまだ残暑によるゲンナリ感がある時期なのですが、今年はすでに空にはすじ雲、地には虫の声が満ちています、台風も夏までに来てしまったかのようで、穏やかな毎日が続いています。
9月も半ばを過ぎると北の山では紅葉が始まり、私としても今年の秋は何処の山へと心が騒ぐのですが、下界の社会は値上げの秋と円安の秋で、のんびりと月でも見ていようと言った気分ではなさそうなのです。盛んに外遊をする宰相殿は、円安などどこ吹く風と自らの経済運営に酔っておられ、わが世の春を謳歌されているご様子ですが、頼みとする輸出産業の雄であるソニーでさえ“無配”の憂き目にあっている昨今では、自動車産業だっていつ左前になるかも知れず、もともと国力の低下を示す通貨の下落は、中長期で見れば憂慮すべき事態と思われるのです。経済援助の大盤振る舞いを引っ提げての外遊も、オリンピックや公共投資の拡大も、高度経済成長時代そのままの政策を踏襲しているだけであり、足元を見つめた政策とは考えられません。不況克服、経済成長が上すべりして格差社会の溜まりだけが取り残される不安がよぎります。“気が付けば 手元も貯金もなかりけり 裏のボロ家の 秋の夕暮”てなことにならないよう願うばかりですが、こればっかりは個人の力では如何ともしがたく、何に縋ればよいのか思案に悩む秋の昼下がりなのです。

秋の日の ヴィオロンのため息の・・・