「吾輩は天才である」

この間買った「漱石」を拾い読みしている。「三四郎」に出てくる人たちは、当時としてもかなり変わった人達であったに違いなく、いわゆる庶民の感覚とはずれている。けれども、何か懐かしく、もどかしい思いもするのだが心が安らぎ、異星人のようではあるが親近感を覚える。今から100年ほど前の小説だから、現代の三四郎世代(20代始め)にはついていけない会話も多く出てくると思われる。私のように団塊世代以前であれば、かろうじて理解できる件も多く、言い回しも面白い。この小説を最初に読んだのは何時であったのかもう忘れてしまったが、忘れてしまうほどに時間が経っている。
三四郎は上京して大学生になったばかりだから、東京のリズムになかなか付いてゆけない。けれど客観的に東京を観察できるから、ある意味では俯瞰した東京を見ているとも言える。100年後の私たちは三四郎の眼を通して当時の東京の、100年前の人たちの息吹を感じることが出来る。漱石は「日本語」を創ったとも言われるが、人の思いや感情を率直に文字にした最初の作家でもあった。小説の主な登場人物である與次郎、美禰子、廣田先生やその他の人物も、まさに今を生きていると思えるほどに描けている。そのようなことに私が驚いても何の意味もないことだが、再読して改めて漱石の描写力に舌を巻いた。
私の家には一応「漱石全集」なるものは(岩波ではない)あるから、かなりの作品は読んではいるのだが、若い頃は初期の作品、例えば「吾輩は・・・」とか「三四郎」などは読み飛ばす程度で、よく考えて読むことをしなかった。今さら後悔したところで仕方ないが、丁寧に読んでいたらもっと発見があったように思う。しかし歳相応の読み方もできるから再読して損をすることはない。
漱石は今頃ほくそ笑んでいるかも知れない、吾輩は天才であると。

はっきり言って 私は天才よ