西洋かぶれ その3

自由とか民主主義を考える時、必ずフランスやアメリカを思い浮かべます。現実には両国ともに自由や民主主義が顔を背けたくなるような振る舞いを、度々のように行ってきた経緯もあるのですが、それでも国民の少なくない部分に民主主義と自由を守るのは自分たちだとの気概があるようです。「自由」という概念を私たち日本人が手にしてからまだ百年にも満たないといって良いでしょう。秩序と周囲との調和を優先した農耕社会の歴史的背景の中で、「個」と「自由」を自分たちの血肉とするにはもう少しの時間が必要なのだと思います。残念なことに、近頃では自由を軽視する社会的風潮が目立ちます。「個」より集団、「国」、自由より秩序、統制が幅を利かせ始めています。自分で考え自分で決めることはかなりキツイ作業であり、決められたことに従い、既成の路線の上を行く方が楽な場合が多いこともあるでしょう。“楽なほうが良い”という考えもあるのですから、そう言った動きを一概に否定する訳にもいきません。しかし、楽をすることは大好きな私も、昨今の”就活“や葬式、結婚式などに見られる画一的、形式的な振る舞いには辟易とさせられます。なんであんな馬鹿なことが出来るのか理解に苦しむのです。
とか何とかいろいろ書き連ねましたが、西洋かぶれと言ってもヨーロッパやアメリカには一度も行ったことも無く、さらに言えばそれ以外の外国にさえ行ったことも無い私が、“かぶれる”なんぞはチャンチャラ可笑しい、それは単なる妄想だよバカバカしい、と言われても仕方ないなあ、などとも思ってもいるのですが(あまり外国に行きたいなんて思わないんだよねえ、これが)・・・。それに「西洋かぶれ」なんて言葉はもうすでに死語となっているんでしょうねえ。私も古い人間ですから。
おしまい。

眠くなったわ