揺りかごから墓場まで:提案第4弾 その3

しかし人口減少と若年層の流出に悩む大都市以外の自治体に、消費と雇用、生活の保障を住民に約束できる術などなく、大都市でさえ格差の拡大と貧困層の増大で住民の生活安定を保証できずにいるのに、お前の言うことこそお題目に過ぎないではないか、裏付けも何も無いではないか、とのご指摘があること承知いたしております。まさにその所を今考えている最中なのです。ホントどうすりゃあいいんだろうね。
実を言いますと、こんなことを考え出したきっかけは、一人暮らしの老人が自分の死に際して、あれこれ自ら準備するという話をTVで見たことにあるのです。生まれる時と死ぬ時は、普通は本人の意思とは関係なく訪れます。ですからその場合は社会的にサポートすることが必要となる訳で、福祉社会の基本的理念の出発点はここにあると思うのです。要するに親とか家族とか親戚とかいう身内主義でなく、一人一人のヒトを独立した人格として社会的に見ていくという視点が其処にはあり、“個”の尊重が民主主義の基本であるとするなら、福祉社会の基本も同様な理念の中にあり、自らの死に際してあれこれ心配しなくてはならない社会は、これは民主主義の危機でもあると、まあこのように考えたのです。
そこで自治体は原点に返りその仕事を全うすべきであると、その仕事すなわち揺りかごから墓場までをカバーし、もって民主主義を支える任務に応えるよう、あらゆる手立てを講じるなかで進む道も見えてくるのでは、と思ってはいるのですがどうもこの自治体の力量が今一つ当てにならない実情があり、一般的に言って小さな自治体になればなるほどその力量も意識も低くなる傾向があり、この文章と同じようにダラダラと取り留めのない仕事しかできない役所となってしまっている現実もあるのです。なぜそうなってしまったかという原因ははっきりしていて、地方自治が民主主義の要であるという理念を、国の方針として徹底してこなかった、むしろ蔑にして国の方針に従うように交付金制度などで縛ってきたという経緯と、それらに同調してきた住民の後進性がそこにあるのです。そんなこんなでこれらを一気に変革など出来そうにないのですが、しかし“与えられた民主主義”も半世紀以上も経過すればそれなりに根付き始める訳で、いくつかの自治体では国の補助金やひも付き交付金を当てにせず、身の丈に合った独自の模索が始まっているとの噂などもありますから、もう少し時間が経てば“とっかかり”が見つかるかも知れません。
またつづく

まだやるのね