民主主義の根幹

ある総会があって興味深い結論を出す結果になった。
この団体は120名を少し超える小さな規模で、構成員もさまざまな階層からなっている。毎年定期的に総会を開催してその年の活動などを決めているのだが、いくつかの議案が毎年提出される。今年も例年のごとく数件の議案があり、滞りなく議事は進み閉会、する予定であった。
しかし、今年の提案の中に重要議案(議決要件が構成員4分の3の賛成)というものがあり、提案する側はその点についての認識がなかった。提案者は通常の案件と同様に過半数で議決できるものと考えていたのだ。提案者、これは10名ほどの執行部とも呼べる機関だが、この中の議論ではその点が全く抜け落ちていたようなのである。理由はいくつかあるのだろうが、この会の規約を提案者たちがまったく目を通していなかったというのが最大の理由であろうと思われる。それと自分たちが重要案件を提案するという認識がなかったこともあった。
総会の中である質問者がこの点を、つまり重要案件なので議決には「4分の3」の賛成が必要なことを確認すると、提案者は寝耳に水とばかりにあたふたして議事は一時中断してしまった。この総会は当日出席者のほかに、当日欠席者は議決権行使書を総会までに提出することとなっていた。総会の出席数は33名で議決権行使書を提出した数は73名であった。提案されていた重要案件2件に対する議決権行使書の賛成数は、それぞれ59と65であり、この団体の過半数にやや満たないか辛うじて超えている数だったから、仮に過半数での議決であれば出席者の賛成で十分可決できると提案者側は踏んでいたのである。しかし規約を無視することはできないので、「4分の3」の賛成を必要とする案件として採決を行った。その結果重要案件2件はともに否決されてしまったのである。「4分の3」に僅差で届かなかった。
提案者の代表は、自分たちが議論した案件が2割に満たない(棄権者もあった)反対よって否決されたことは残念であり、今後このような事態がたびたび起こるとなると何もできなくなる、といった趣旨の意見を述べて総会を締めくくった。私はこれを聞いてこの国の民主主義がいまだに未成熟であると感じると同時に、規約のもつ意味や重要性が民主主義の根幹に深く関係していると改めて思ったのだった。この総会が規約にのっとって運営されたから少数者の意見が尊重されたという事実は、民主主義のルールに沿ったものであったのだが、提案者側にとってはその事実が不満足であり、いっそのこと規約の改廃を考慮すべきという、自らの不備な点を他に転嫁する本末転倒とも言える態度をしめすに至ってしまった。にも拘らず出席者の多くがそのことに対してなんら反応しないという、全体的な“鈍感さ”が感じられたからである。「4分の3」あるいは「3分の2」という賛成を議決要件とする方式は、民主主義が陥りやすい多数決万能主義に一定の歯止めをかけるとともに、少数者の意見にも真摯に耳を傾けるための手段として、あるいは多数であることがすべて正義もしくは善ではありえないことの反省からによるところが大きいと思われる。何でもかんでも過半数の多数決で押し切ることの多い国会などの議論を見ていると、それらのことを強く感じる。
民主主義が非能率であり、多くの場合に不満を残すシステムであることは否定できない。しかし不断の努力でその不満を、非能率を、極力少なくしてゆくことはできる。民主主義とは常に研鑽と理想を追求する努力を求められるシステムなのだ。「4分の3」や「3分の2」規定が過剰もしくは煩雑であるからという理由で、過半数のみで全てを決めることを選択するのは、努力と研鑽の放棄であり民主主義の根幹を否定するものであると言えるだろう。残念ながらこういった考えは今のところ多数派となりえていない・・・かも知れない。少数派の意見を尊重することの理解が、必ずしも浸透しているとは思えないからだ。形式だけの民主主義は時として専制につながる危険性を孕む。
因みに私はこの重要案件に対して反対であった。


切磋琢磨よ