新(あらた)しき 年の初めの初春の・・・

伝統や習慣を軽んじたりあるいは特別視するつもりはありません。ですから正月だからと言って特に変わったことを考えたり、日常と大きく違ったことをすることはしません。“正月や 冥途の道の一里塚 目出度くもあり 目出度くもなし”というところでしょうか。おせち料理はつくりますが、これとて今では正月一日からスーパーが開いていることを思えば、ただ習慣でつくっているだけとも言えます。私はお煮しめや餅、かまぼこなどの正月料理が好きですから、一年に一度ぐらいはこういった習慣があってもよいと思っています。
子どもの頃、まあロクでもない思い出ばかりの時代でしたが、一年に一度、たまには3月の節句にもう一度、つきたてのお餅が食べられる正月が楽しみでした。今のようにお年玉の洪水なんてことは夢のまた夢でしたから、お餅だけが取り柄の正月であったように記憶しています。しかし、街全体が華やぐ雰囲気は今より格段とあって、それらが自分たちにも伝染して、やはりうきうきした気分となっていたことはありました。遠足の前の日とか、お祭りの日に感じたものと同じです。日常とは異なる時間への期待感とでも言いましょうか。ディズニー・ランドもインターネットもなかった時代の話です。
あと何回新年を迎えられるのかというカウントダウンの、そろそろ始まる時が近づいてきていると感じています。“病気と寿命は待ってくれない”ことを肝に銘じながら、後腐れのない時間を過ごしてゆきたいと、出来る範囲で心がけましょう。降ってくる雪のように良いことが続くことを願って(虫が良すぎる願いですが)・・・。しかし、スーパーの福引はすべてスカでした、8本もあったのに。
新 年乃始乃 波都波流能 家布敷流由伎能 伊夜之家餘其謄
(あらたしき としのはじめのはつはるの きょうふるゆきの いやしけよごと)
名門大伴家の一員として、台頭する藤原氏から次第と滅亡に追いやられることとなる大伴家持の心境を歌ったものと、岩波の古典文学大系には書いてありました。万葉集の巻末を飾る歌です。
 
 まだ松の内じゃない・・・