貧窮問答の歌

いずれ一度は触れるつもりであった「貧窮問答の歌」、言うまでも無くこのブログの題名はこの歌からの借用で、歌の作者である山上 憶良の高い教養に少しでもあやかれればと思ってのブログ名でした。よく知られているように、山上 憶良という官人は遣唐使の一員として唐に渡り、漢籍を収めての帰国後に後の天皇の学習掛を務め、さらに筑前守として受領層の官人となった人です。万葉集の代表的歌人でもありますが、人麿や赤人といった宮廷歌人とは少し毛色の異なる歌を残した人としても有名です。
「貧窮問答の歌」はそういった中でも異色とも言える内容のもので、かりそめにも支配階級の一員である貴族が、極貧者の生活を描写した歌を“頓首謹上”するという、おそらく当時の常識から言えば考えられないような歌であったと思われるのです。そしてそんな歌をれっきとした大官貴族である大伴 家持が編集した歌集に取り入れることもまた、かなりシュールな状況であったとかねてより不思議に思っていました。万葉集という歌集は天皇や貴族の歌のほかに、防人歌、東歌など庶民ではないにしろ中央貴族とは階層の異なる人たちの歌が含まれているのが特徴の一つで、編者と言われる大伴 家持の歌に対する審美眼が「貧窮問答の歌」を採用したとも言えるのでしょう。
「風交じり 雨降る夜の・・・」と始まる長歌は、前半が貧者から極貧者への問いかけで、後半はその問いに対して極貧者が答えるという形式をとっていると言われています。和歌と言えば華やかな宮廷の生活や恋歌ばかり思われていたあの時代に、庶民の貧しい生活の様子を歌った作者の思いは何であったのか、いろんな研究者や本によって書かれていますが、謎の多い歌でもあるようです。
私のブログのほうはそんな本家の思惑とは関係なく、与太話の連続で“問答”となど言えない言いっ放しの放言に近い内容ですが、憶良さんの名を汚さない程度の品格と誠実を旨として5年目を迎えたいと心するのですねえ、この辺りまだ品格が足りませんが・・・。

品格は私に任せて・・・