“神”のこと  その5

おりしもこの頃の地球は、やれ地震とか気候変動に伴う異常気象が頻繁に起こるサイクルに入り始めていたのです。「まあ 飲めや」で治めていた“よっしゃ”さんもこれにはほとほと参っていたのでした。するとへそ曲がりの神担当は「ここがおらの出番でなくてどうする」とばかりに張り切り、あちこちの神さんに「どうにかしておくれでないかい、悪いようにはしないから」などと飲み屋の女将さんのような口ぶりで頼み回りました。
そんなこと言われてもねえ、「はい分かりました」と素直に聞く神さんは居ないし、そんな玉ではないし、大体もともと自分がでっち上げたまがい物なのですから、地球さんの為さりように勝てるはずがありません。結局のところ、ヨシアもヘマガリも(この頃になると二人は名前をヨシアとヘマガリに変えていたのです。因みにヨシアの子どもはメシア、ヘマガリの子はヘブライとなります。ヘブライの従弟が東の方に旅をして、そのずっと後にフビライという人物が生まれますが、その話はまた別の機会です)無力を露呈するほかに手を打つ術がなかったのです。人々は、例によっていつものよく分からない派の人々ですが、「どうにかなんねえかよお、だれか何とかしてくんねえかよお」とかったるく切実な願いの声を上げていたのです。
ここにタゴサクという農民がおりました。この男はよく分かんない派の農民なのですが、やや独りよがりで集団から浮いていました。タゴサクは「こんなに暮らしが良くなんねえのは、あちこちの神様に頼みすぎるからじゃねえか。一人にすりゃあいいだよ、この浮気もんが」とつねづね思っていたのでした。ぶつくさと子供にもそのように嘆いていたのでした。子供の名前はイサクと言いました。          つづく
 
  神のポーズ