“神”のこと  その6

さて、長い話もそろそろ纏めにかからなければなりません。こんな与太話をいつまでも続けていると、せっかく9万回のアクセスを超えたこのブログの固定客の皆さんがそっぽを向いてしまいます。すでに勘の良い皆様には前回の「メシア」やら「ヘブライ」、「イサク」などの名前が出たあたりで、この与太話の先が読まれていると考えております。ご推察の通り、その後何世代か後に「旧約」が書かれるのです。
一神教はこのような中で生まれ、独りよがりの愚痴を聞いて育った子供はますます独りよがりとなり、「俺についてこい」とか「世の中変える維新だ」とか言って触れ回ります。いつの世もよく分かんない派の面々はこの手の言動に弱いのです。なおこれは主に今で言う中東辺りで起きたことで、モンスーン亜細亜地方では別の考えをする人が生まれます。ブッダと呼ばれるその人は、悩み多き人だったらしく王族でありながらよく煩悶していたらしいのです。その辺りのことは手塚治虫先生の「ブッダ」に細かく書かれていますから省きます。
タゴサクの子イサクのそのまた子アブラハム(突然のアブラハムの登場は進行上の都合です)は、「どうにかなんねえのかよお」という声に「だから言ってるべ、おらみてえに一人の神様に頼むだよ、そうすりゃ神様だって聞いてくれるだ」と、説いて回ったのです。神様が聞いてくれたどうかは良くは分かりませんが、それまでが酷いことになっていたのでみんな藁をもつかむ気持ちで「そんじゃ そうすべえ」と多くの人たちがなびいて行ったようです。このアブラハムの言いだした神様は、「俺一人が正しいんだからな 浮気なんぞしたら許さねえど」とかなり厳しい規則やら約束事を守らせる神だったのですが、なんせよく分からない派の人たちはマジョリティに弱いという性格で、なおかつややマゾ的なところもあり、「少し厳しいぐらいのところがグッとくるなあ うんシビレル」とまあ、蓼食う虫の好き好きと言いますか、瞬く間に広がっていったのです。  つづく

“なんだよちっとも終わらないじゃん”とお思いのこと、分かっております。あと少しの辛抱です。この後アブラハムはその子にまたイサクと名付け、紛らわしいと言ったらないのですが、でこのアブラハムには、“アブラハムには7人の子 一人はノッポであとはチビ”とお馴染みのテーマソングがありまして、“右手 左手 右足 左足 頭 お腹 お尻”と順番に体の名前を歌いながら覚えるという、とくにこの最後の“お尻”で盛り上がるのです、保育園や幼稚園では。まあこれもだいぶ後になっての話です。

 
 まだ終んないの