ヒトの宿命

ヒトという動物の他の動物との違いや特徴的な部分を考えると、ヒエラルキーを形作る習性というものに突き当たります。蜂や蟻という生き物も同じような階層社会ですが、ヒトのそれとはやや性格が異なります。類人猿や高等哺乳類の中にはヒエラルキーが存在するようですが、人ほど規模も内容も複雑ではありません。ヒト社会の奴隷制、貴族制度はヒエラルキーを分かりやすく見せてくれます。
基本的人権と各個人の平等を前提とした現代民主主義は、ヒエラルキーとは無縁の社会構造のように見えますが、現代のヒエラルキーは分かりづらいだけで、依然として階層社会であることに変わりはありません。裕福な資産保有層、それに続く中間層、そしてそれらに属さない圧倒的多数の層が現代のヒエラルキーを形成しているはずです。各階層間の移動は不十分ながらあるにしても基本的構成には変化がないでしょう。富の分配はヒエラルキーを維持するために考え出された仕組みとも言えるし、社会保障 福祉制度 学校制度なども同様にヒエラルキーのためのものと位置づけられるでしょう。下部構造は常に上部構造によって規定されるというテーゼは階層社会が成立するうえで不可欠の原則であり、平等は幻想でしかないのです。
しかし、こう言ってしまえばもう身も蓋もなく、大多数のヒトの宿命は虫けら同然のお先真っ暗の話となってしまいます。“じゃ何か、虫けらは不幸か”と言われると“いやそれは言葉のあやで・・・”と弁解しなくてはなりません。何故なら虫は先々の事になど心を惑わすことが無いからです。まあ虫に聞いたわけではないのであくまでも推測ですが、ともあれそんな中で、大多数のヒトは少数のヒトもしくは上部の階層のために存在するのかといった疑問に“いえ、それは違います”と答えたのがマルクスエンゲルスでした。マルクスエンゲルスの理論は、それまでの社会矛盾の根源でもあるヒエラルキーを一掃してくれるかもといった期待を持たしてくれました。しかしご案内の通りでどうも理屈のようにはいかなかったのが現実でした。
                                             つづく
 
 私はヒエラルキーの頂点にあるの