リベラルの復興

「保守化」の傾向が各分野で定着して久しくなります。とくに政治の世界では保守化を通り越して右傾化ともいえる状況が生まれています。このところの尖閣竹島をめぐる領土問題は、そういった動きに一層の拍車をかけているようです。
今から30年ほど遡ると、「革新」勢力というのが勢いを持っていた時がありました。JR(当時は国電)中央線沿いの市を“赤いベルト”と呼び、革新市長が市政を担っていましたし、東京だけでなく大阪、京都といった大都市を中心に革新知事が生まれ、国政の保守政治に対し都道府県、市町村レベルでの革新政治が拡がっていった時期でした。しかし経済成長の鈍化とともに変革のエネルギーも衰えてゆき、「空白の10年」を経て「革新」の流れはすっかり鳴りを潜めてしまいました。「住民運動」という言葉が生まれたのもあの時代であったように記憶しています。ある意味でこの国の「リベラル」が花開いた時期であったと思います。
このところ押されっぱなしのこの国の「リベラル」ですが、原発事故をきっかけに新たな動きが起きていると感じます。政党や労働組合といった既成の組織に頼らない運動主体が形成されつつあるようです。こういった流れが今後持続してゆくのか、また新たな展開を見せるのか、外野席にいるものとしては興味津々なのです。「君が代」や「日の丸」などアナクロ的なナショナリズムばかりが目立つ昨今、力強いリベラリズムの復興を東北3県の復興より切望する私にとって、縋りつきたい希望の灯ともいえる動きなのです。「ヒーロー願望」が右傾化と愚昧のシンボルであるなら、「中心無き運動」ともいえるリベラリズムの復興は理性と教養の復活でもあるとも思っている訳ですね。
 
 私はリベラルね いつも