ヒトは何処から来て 何処に向かうのか

 たしかゴウギャンの代表作にもそんな名前のものがあったが、洋の東西を超えてこの疑問「ヒトは何処から来て 何処に向かうのか」は心を捉えるらしい。私達の先祖の一人はこの疑問をかなり早くから持っていたようで、「不知 生れ死(ぬ)る人 何方より来たりて 何方へか去る」などと書き残している。800年も前になる。このブログにも幾度となくノーギャラでご登場頂いている鴨 長明さんの「方丈記」の一節だが、ただ長明先生はその疑問に対しかなり冷めているというか、「俺は知らいないけど(つまりどうでも良いと思っているが) ヒトというものは生まれてきたら 何処かへ(死ぬことも含めて)行ってしまうものなんだよ」と割り切っていることだ。この辺り西洋のキリスト教に毒された(別な言い方では“信じている”)方々は諦めが悪いというか、達観出来ない習性があるようだ。
 今までに分かった処では、ヒトはアフリカの大地溝帯辺りの草原から世界中に散らばったらしいと思われていて、行きつく先は滅亡というシナリオがどうも用意されていると言う。つまり長明先生の言う通り「何方へか去る」ことになるようだ。それがこれからどのくらい先なのか、あるいはそれほど遠くないことなのか、その辺りは諸説が入り乱れている。地球上のすべての種にとって“絶滅”することは決して珍しいことではなく、むしろ種が途絶えないことこそ稀と言える。ヒトがその例外になることはおそらく万が一にもないであろうし、そうであるならガツガツして成長戦略ばかり追求することを考えなおしたらと思うが、人智は真理に遠く及ばないから何時までも“何処に向かうのか”などと言っている。
 ヒトの一般的寿命が100年に満たないというのは、ほとんどの人類は絶滅の瞬間に立ち会わずにすむことだから、長寿を有難がるのは考えものとも言える。ましてヒトは他の動物より老化現象が著しく、生きているやら死んでいるやら分からぬまま平均寿命だけが長くなり、それで長寿国となったと喜んでいる国の話も身近にあるようだから、「アポトーシス」を積極的に採用することのメリットを考えても良いのではないかと思う。“人生50年・・・”と踏んだ信長は、やはり先見の明があった、かも。

私? 何処にも行かないわよ。