フェルメール

画家を絵描き(えかき)とも言いますが、なんとなく“絵描き”という言い方が好きです。“アーティスト”などとも近頃では呼ばれますが、座りが悪く軽薄な感じを受けます。ただ、絵描きではお金には縁遠く感じられ、画家、芸術家となるにつれて裕福になっていく印象があります。しかし絵そのものは“絵描き”のころが最も生き生きとしているような、まあ根拠もなにもない話ですが、画家、芸術家など呼称が変化すると、絵も面白みが欠けてくる、そんな風に思っていました。
 絵描きと貧乏はいつもセットであったかのような伝説が残っていますが、オランダの画家、フェルメールも決して裕福とは言えない生活の中で傑作と言われる絵画を残しました。フェルメールは寡作な画家でしたから、現存する作品にお目にかかるのはなかなか大変です。なかでも有名な「真珠の耳飾りの少女」などは、所蔵するオランダのマウリッツハイス美術館にでも行かないとお目もじ叶わず、フェルメールファンにとっては高根の花とも言うべき絵画です。ところが今年の6月にこの“少女”が初めて来日するのです。きっと都美術館は混雑することでしょう。
 若い時はフェルメールなど少しも興味がなかったのです。絵に動きが少ないですし、古典的な手法をそのまま用いたような絵画としか見えませんでした。とにかく本物のフェルメールを一度も観たことがないので何とも言えませんが、近頃では以前とは異なる印象を持つようになりました。印刷されたものやTVの画面で見る限りでは、肉筆の感じは伝わりません。しかしあの色使いや描写力は素人目にも超人的と思えます。あるがままに描くことの大切さと、難しさが観るものに伝わります。職人の手仕事にも通じる絵画のように思えます。なんと言うか、自我を封じ込め、対象を出来るだけ生かす、といった作業を黙々とこなしてきた、言うなれば“絵描き”を内に秘めた“画家”と思えるような印象をフェルメールの絵から受けるのです。私が歳をとったせいかもしれません。
 
 
 フェルメールもビックリのポーズ