根付かないこの国のナショナルトラスト運動 3

この国の自然への取り組みが今後どのような展開となるのか、市民レベルあるいは国や行政を含めての動きは大きく変化しないと思っています。とくに市民レベルの運動はここところ後退化しているとも見られ、その原因は主に若年層の無関心、無気力によるところが大きいと考えています。経済的にある程度の充実した環境に育った現在の若年層は、保守化と現状肯定の傾向が顕著ではないかと思われます。また、自分以外の対象に関心が薄いこともその特徴として認められると言います。
 1960年代以降、一時的ではあったにせよこの国の理性とも言うべき部分が覚醒したことがありました。政治的にも経済的にもある意味高揚期であったことが背景にあったと考えられますが、経済成長と“一億総中流化”という流れの中で、覚醒した理性は再び眠りこけ、管理と前例踏襲が幅を利かせ今日に至っています。そしてこのところ新右翼主義とも言うべき潮流が台頭し既存政党を脅かすと同時に、低迷する労働組合学生自治会はこれらに何ら有効な反撃を出来ない状態が続いています。かつて“革新勢力”の一翼を担ってきたこれらの大衆組織が、もう一度政治の表舞台に参加してこの国の変革に力を発揮する時、若く新鮮な理性が自らの力に目覚め活動を再開する時、自然保護運動もナショナルトラスト運動も高揚期を迎えるのだと淡い期待を持っています。そのためには、この国の経済や政治が混乱することも必要なのかもしれません。
 どの道、近い将来には起こるであろう大規模地震などで、好むと好まざるとに関わらず、政治経済両面にわたっての危機が避けられない事態であることは想像するに難くありません。そしてその時こそ、この国に何が必要で、何を残すべきなのかを、私達は自問するのであろうと思っています。
終わり。

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