J.D.サリンジャー

実のところJ.D.サリンジャーと言われても「ライ麦畑で捕まえて」の作者ぐらいの知識しか無くて、その「ライ麦・・・」も一度しか読んでいなくて、おまけに中身もうろ覚えで、思春期のお兄ちゃんが勝手なことをやったり言ったりしている程度の感想しかなく、何でこの作品が今でもこれほどまでに持て囃されているのか分からない、と言えなくもないなどと思ったりもしているのです。
のっけから回りくどい言い回しでお読みぐるしいでしょうが、スティーブン・キングの「11/22/63」を読んでいたらこの「ライ麦畑・・・」が出てきて、1958年当時ではアメリカのハイスクールでこの本を学校図書としては認めないところが多かった、という件があったのです。この件はこの本の主人公の立ち位置を表わす重要な部分で、小説家が話の中に取り入れたいほどの魅力ある内容を持った本ということだと思います。私がこの「ライ麦畑…」を読んだのはかなり歳を食ってからでしたので、洟垂れ小僧が何を言うか・・・といったおっさん的感想を持ってしまったことは否めません。この辺り村上春樹さんとはかなりの距離を感じるのですが、それはもう仕方ないことで、感性の無さというか感受性の鈍さというか、青少年のバイブルとも言うべきこの作品の価値に反応できるほどの受容体に恵まれていないのです。
ショーン・コネリー主演の映画「小説家を見つけたら」はこのJ.D.サリンジャーをモデルにしていると言われます。この映画は繰り返し観た作品で、何度見てもほろりとさせられるラストが何とも清々しい名作です。ここでもサリンジャーがモデルと言われるショーン扮するフォレスターという小説家が、1作しか発表していないにもかかわらず未だ絶大な人気をもつという設定で話が進みます。実際のサリンジャーも「ライ麦畑・・・」以後は30年以上何も発表せずにいて、生きてるのか死んでるのかさえも分からないという伝説的作家だそうですが、だとすれば私が何も知らないのも無べなるかなと言ったところかもしれません。
そこで、と言う訳でもありませんが「サリンジャーをつかまえて」という本を借りてきました。イアン・ハミルトンという人が1988年に発行した本をその4年後に翻訳されて出されたものです。謎のサリンジャーに迫る伝記本ということらしいので、ひょっとすると「ライ麦畑・・・」に近づけるかも・・・と思っているのです。

私をつかまえられる?