西行

 さびしさに 耐えたる人の またもあれな 庵並べん 冬の山里
のっけから知ったかぶりの歌などを挙げましたが、とくに他意は無く、このところ寒さが続いて、ふと頭に浮かんだまでのことです。年明け以来雨が降らず、寒さに気合が入って無いなどと思っていたら、やたら寒波が立て続けに来ているようで、日本海側の地方や北海道は記録的な雪が降り積もっているようです。降り積もる雪の美しさは、傍で見る限りよいものですが、雪かきやガチガチに凍ってしまった雪を考えると、雪もまた難儀なものであると何年か前に実感したことを想い出します。西行さんはかなり裕福な家庭に育ち、出家後も経済的には困らなかったようですから、冒頭のような歌を詠めたのでしょう。
 小林 秀雄をはじめ「西行」を扱う書きものは数多くありますが、作家や研究者にとって西行さんはとても魅力ある人のようです。裕福な豪族の家に育ち、当時の武士としては花形の北面の武士となり、平 清盛とも親交を結ぶ中で出家するという、大変恵まれた状況を投げうって遁世する潔さが受けるのでしょう。出家後は歌人としてもその力を発揮し、友人である清盛を筆頭に崇徳上皇、源 頼朝や実朝、藤原 定家などとも交流する大物ぶりで、とても遁世した世捨て人などと言ったものではなかったようです。きっとそんなところが人気なのでしょう。本当の世捨て人になってしまったら、だれも見向きもしない、関心さえ持たれない、孤独死の人となってしまいます。まあ、世を捨てる人と世に捨てられる人とは違うかもしれませんが・・・。
 「出家」ということが現在のそれとはだいぶ異なるようであったと言いますから、頭を丸めて坊さんになったら葬式屋になるなんてことは無く、自由人として気儘に暮らせる境遇を手に入れる手段でもあったようです。もちろん誰でもできる訳ではなく、一部の恵まれた人にのみ可能な、言ってみれば任意退職、悠々自適暮らしだったのでしょう。これはやはり一種の憧れで、誰でも一度は考えてみる暮らし様ではあると言えます。おまけに食っちゃ寝だけでなく、歌などに才能があるのなら申し分なく、その上権力者とも懇意となれば何をか言わんやです。西行さんもその辺りを見越して出家したのかも知れません。だとするとなかなか強かなお方だったとも思われます。
 花の下にて 春死なむ その如月の望月のころ  と言ったままにこの世を去る方ですから、行き当たりばったの人生ではなかったようです。

   西行よりこの神の手の力が・・・。