送別、惜別、告別

今日から2月、これから年度末までは別れの季節ともいえます。いろいろな別れがあると思いますが、“「サヨナラ」ダケガ 人生ダ”との達観した境地もあり、湿っぽいばかりが別れではないとも言えます。
漢詩には別れの詩が多くあり、それも“色恋”関係ではなく友との別れを題材としたものが多いようです。中でも有名なのは宇武陵の「勸酒」で、前段で引用した井伏鱒二の訳でその後半が一躍メジャーとなりました。王維の「送元ニ使安西」もやはり友人を送るにあたりお酒を勧めます。これも後半部が有名で、
君に勸む 更に尽くせ 一杯の酒 西の方 陽関を出づれば 故人無からん
とまあお酒と別れはセットとして、詩の重要なファクターであったのでしょう。
「惜別の歌」と言えば小林旭が歌って一世を風靡しました。しかしあれは藤村の「若菜集」にある妹が姉にあてた思いをつづった詩の一説ですから、漢詩の流れとはやや趣を異にするものなのですが、別れの歌としては秀歌と言えます。「遠き別れに耐えかねて・・・」で始まる抒情的な内容は、私たち日本人のセンチメンタリズムにぴったりとくる詩です。
君が行く 道の長手を 繰りたたね 焼き滅ぼさむ 天の火もがも(万葉集 巻15)
これも別れの歌と言えば別れの歌で、狭野茅上娘子(さぬのちがみのおとめ)が流される愛人に向けて歌ったものですから、惜別の歌なのです。しかし、お相手の中臣朝臣宅守からの返歌は「焼き滅ぼさむ」といったほどの熱情はなかったようで、「この山道は 行き悪しかりけり」などと愚痴るばかり、どうもあの頃は男より女のほうが強くしっかりしていたらしいのです。
弔辞というのは告別式で友人などが亡くなったものに対して言う別れの言葉で、有名人などの葬儀ではよくやられるようですが、実際の葬儀で聞いたことはありません。故人から残された人には辞世というのがあって、赤穂浪士で有名な浅野の殿様の「風さそう 花よりもなお 我はまた・・・」とか、秀吉さんの「つゆと落ち つゆと消えゆく わが身かな・・」など、これも偉いさんのものが有名です。しかし、
百居ても 同じ浮世に 同じ花 月はまんまる 雪は白妙(永田貞柳)
という殿様でも偉いさんでもない江戸時代の庶民の辞世の句に、告別の潔さと痛快さを感じます。出来ることなら私もそのくらいの潔さを持っておさらばしたいと・・・。

月はまんまる