限界がない

世の中のことは大体のところ限界があって、という話は昨日したばかりですが、ヒトの欲というのはどうやら限がないものの一つのようです。この点もヒトという種が他の動物と異なる、外れているところと思うのですが、これは私自身の経験からもそう思うのです。なんせ次から次へと欲しいものが出てくるのですから、始末が悪いことこの上ありません。幸いなことに私はそれらの欲望をかなえるだけの経済的な力がありませんから、諦めるという方法によってブレーキをかけていますが、これが不幸にも億万長者あるいは大資産家に生まれていたら大変なことになっていたと、背筋が凍る思いです。まあ凍るまで行かなくともせめて寒くなる程度のところまでは、出来れば経験したいと思わなくはないのですが、叶わぬ望みでもあります。
徒然草」は好きな読み物の一つで、ユーモアもあり示唆にも富んでいて、何度読んでも飽きません。作者の兼好という人は、若い頃には蔵人、左兵衛佐として時の朝廷に仕えた下級貴族ですが、いろいろ事情があり出家してしまいます。出家後は経済的に困窮したということもないようですが、この辺りは同じように出家した西行のように豊かな豪族出ではなかったことが、「徒然草」に見られる社会性というか庶民性が生まれた原因となっているような気もします。そしてこの兼好という人の富や位に対する見方、あるいは“恨み”みたいな感情が、今も普遍性をもって私たちの気持ちに届きます。で、この人は“欲”に対していろいろ述べているのですが、第十八段冒頭では「人は 己をつづまやかし 奢りを退けて 財を持たず 世を貪らざらんぞ いみじかるべき。昔より 賢き人の富めるは稀なり」と喝破しています。ところがこの人にしても、第百十七段では「よき友 三つあり。一つには物くるる友・・・」と言っているところをみると、やはり欲には限界がないのかと思えてくるのです。因みに残りの二つは医師と知恵ある友で、これも実用というか欲の延長というか、兼好さんにしてこの通りですから、私のような凡俗が欲の塊となってしまうのも無べなるかな、と思えるのです。

私は欲とは無関係