何を書けばよいのやら・・・

 “浜の真砂は尽きるとも 世に物書きの種は尽きまじ”などと言ってみたいところですが、素人が毎日のように物を書くのはかなりしんどいもので、ついつい与太話の垂れ流しとなる今日この頃ですが、このように“が”二度も出てくることや、“与太話以外に書けるのか”と言った自問に苛まれる今日この頃でもあります。
 今月の初めに“今年もいよいよあと僅か・・・”と書いてしまったので、もうその書きだしは使えないし、来年のことはまだ早いしで“破れかぶれのふんどしの暮”とは昔の人のセリフですが、江戸時代の人達は言葉のセンスがずば抜けて良かったようで、川柳や狂歌にその片鱗を見ることが出来ます。もちろんそういったものを書いたり創ったり人は少数だったでしょう。けれどもそれらを受け入れる土壌があったということがセンスの良さを証明しています。いわゆる文人と呼ばれる人達だけでなく、長屋に住まう人々の日常の暮らしが言葉の文化を支えていたとも言えるのでしょう。まあ知ったようなことを書いていますが、千三つですからお気に留めることのないように願います。
 世の中は われより先に 用のある 人のあしあと 橋の上の霜
蜀山人狂歌です。突然こんなものを持ち出してなんですが、  何を書いて よいやら分からず 苦し紛れ ひねり出したる 冬至の朝ボラけ、 字余り、などという実にどうも・・また明日。
     
    
     私はつまらない物は書きません。寝ています。