少し長い話となりますが・・・その3

「死」が負の要素だけではないことは、「不老不死」が実現したらどうなるか想像してみると良く分かります。生物界はたちどころに破滅に向かいます。地球上は有限な空間ですから、自ずとその許容量の範囲内での生命活動があるのです。「DNA」はそのことをまず踏まえた指示書を作ったということなのでしょう。ですから「生きる」という行為は「死」を前提に設計されている訳で、決して“エンディング”ではないのです。自らの生命活動を自ら終了させることが、「DNA」の指示書の中に組み込まれていることであるなら、ヒトが自分の人生に自分から幕を引いても何の不思議はなく、それは次のステップのための準備とも言えるでしょう。
「ノッキング・オン・ヘブンズ・ドア」というドイツ映画がありました。余命が数か月と宣告された男二人が、海を見るために旅に出る話でした。ハリウッドでは「最高の人生の見つけ方」という同じような内容の映画がつくられています。どちらも残された時間をどのように使うかというテーマを扱っているのですが、「死」という現実を前にすることで日常からの飛躍が可能となる、映画の中でジャック・ニコルソンは“ビック・チャンスだ”と言います。そんなメッセージもあったのではと思っています。蛇足ですが、二つの映画の出来はドイツに軍配が上がると思っています。それは同じ「余命」を扱っていても前者は「死」を忘れて時間を楽しんでいるのに対し、ハリウッドは常に「死」を勘定に入れ、家族やら周辺の問題に気をかけるという“よき神の子”たらんとするのです。マーケット受けを考えた商業映画の限界と言えなくもないのでしょう。
私は今健康で(と思っていますが、本当のところは分かりません)、人間ドックでも脳ドックでもこれといった指摘を受けたことがありません。ですから、具体的に“余命が後わずかです”と宣告されたときに、どのように自分がそれを聞くのか、うろたえるのか、泣き叫ぶのか、それとも“あ、そう”と受け入れることが出来るのか、全く分かりません。けれども希望としては“ビック・チャンス”が来たと思えればよいと、そして、時間と体が許せばやり残した(これがホントのところ見つけられるか自信が無いのです。何故なら、自分が何をしたかったのかということをはっきりさせる必要がある)ことを、やっつけておさらばにしたいと考えています。


“百居ても 同じ浮世に同じ花 月はまんまる 雪は白妙”
これは江戸時代の狂歌師で永田貞柳の辞世の句だそうです。私はこの狂歌を知った時(もう大分前になりますが)に“これだ!”と、“これが人生の終わり方だ”と思ったものです。その頃は「死」なんてものには程遠い所にいたのですが、この思い切りの良さ、達観にはすっかり感心してしまいました。あれからもう数十年以上の時が経ち、自分が「死」と向き合う時が現実的となる年齢に差し掛かってきて、改めてこの歌の良さが身に染みています。よく有名人の死に際してコメントを求められた人が言う言葉に、“もっと長生きをしてほしかった”というフレーズがあります。若く死んだのであればそれももっともなコメントですが、80、90歳にもなって死んだのであれば、順当でありむしろ旅立ちを祝福してやって良いくらいと思っています。まあ死んだ本人が“死にたくないよお”と言っていたのであれば話は別ですが。結局のところ、ヒトの「死」は周辺関係者の思惑が優先されがちで、「死」に直面する本人の意思は意外と蔑にされやすいと言えます。
オランダは世界で唯一安楽死を法制化して認めています。今では3000人を超える人たちがこの法律にもとづき安楽死を選択していると言います。「耐え難い苦痛、改善の見込みがない」などの症状と、「自発的な熟慮」を前提としたうえでの安楽死の認可ということらしいのですが、最近では身体的不自由、人生への疲れなどの理由による要望も強いと言います。後段に理由による安楽死には未だ制約が多いのが実情のようですが、認められるケースもあるようです。いずれにしても、家族の理解と本人の意思が上手くかみ合うことが必要なのでしょう。

「死ぬこと」について思いつくままに書いてみました。自分が死に直面するときがいずれ来て、その時に慌てないためにもとの思いと、一度まとめてみたかったこともあったのです。書いてみて問題が整理された訳でもなく、もちろん結論めいたことにもなりませんでした。年齢とともに体のあちこちにガタがきて、生きることがしんどくなる時が近づいている予感はあります。出来れば、訳の分からないまま死ぬという突然死や“ぽっくり”逝くというよりは、日常の生活をする中で、納得して人生を終わりたいと、せめて死ぬ時ぐらいはかっこ良く逝きたいと思うのですが、思い通りにはいかないのが世の常というか、しゃくの種というか・・・。            終わり
 

じゃ眠るわ