独裁者

昨日はお金のことを書きましたが、急きょ死亡されて世界中が大慌てした北の“将軍様”は、贋ドルや覚せい剤を作ったりしていたと言いますから、やはりお金には苦労していたと思われます。独裁者と言われた人は歴史上に何人も居ますが、あの“将軍様”は“最後の”と言った形容詞のつく人かもしれません。“金王朝”などと呼ばれる国家があの人の望みだったのでしょうか。「民主主義人民共和国」などという名称は既に地球上には存在しない夢の国だったようです。
やはり軍人名称で呼ばれた「カダフィ大佐」も独裁者と言われていました。独裁者としてまず名前が浮かぶのは、なんと言っても「ヒットラー総統」です。おそらく20世で一番の有名人であり、世界中を震撼させた人物でもあります。いまだに映画や小説にはたびたび登場するある意味でのヒーローで、“ネオナチ”と言われる政治勢力が未だに信奉する対象ともなっています。ドイツという国がナチズムと決別し、国の教育の中でナチスのしてきた行為を批判的に教えていることは良く知られていますが、“ナチスとドイツとは別”という論理もあるようで、「そういった逃げもあるか」さすが誇り高いゲルマン民族と妙に感心させられます。天皇大本営もそのままうやむやにしてしまったどこかの国とは手法が異なるようです。
独裁者が待望される時代は、経済的政治的に閉塞状況となった時と言われます。民主主義という非効率な政治形態は、その弱点を混乱時に曝け出します。私達大衆はみなせっかちで自分勝手ですから、時間ばかりかかり、ちっとも思い通りにならない現状にしびれを切らします。かと言って自分で舵をとるほどの才覚も気迫も無いので、強力な実行者の出現を期待するのです。まあ、自分に出来ないことを他人に押しつける訳ですから、上手くいくはずが無く大方は失敗するのですが、宝くじ同様しばらくは幻想を抱かせてくれます。時が来ればこの幻想は破れ、お金も思いもどぶに捨てたと同じこととなるのですが、幾度も同じ轍を踏みます。小粒で較べようもないほどですが、つい最近も西の方ではあったように聞いています。

睥睨する我が家の独裁者