電柱

 電線、電信柱については度々ここで悪態をついています。まったくなんであのようなものが町中に皹こっているのか、いまだに理解しかねています。邪魔だし、汚らしいし、危険極まりないしで、なにも良いことは無い設備と言えます。共同溝という設備が都市の機能上必要であるというコンセンサスが、いまだに形成されていないこの国の後進性を、今さらながら嘆かずにはいられません。
 私はつい最近、この電柱についてある認識を深めました。電柱は電力会社の思惑で地上でも地下でもどちらにでも敷設できるのではないかということです。現在電柱は敷設する場所の使用料を払って建てられています。しかし電線は空中を通るので使用料は払われません(確か法律的には地上何メートルまでかは地上権が発生することになっていますが)。ところが地中に電線を通せばもろに地上権を主張されて、利用料を払わなければならない羽目になるのではと思ったのです。ようするに電力会社は、安全性や美観や利便性よりもコスト重視を選択したのでしょう。もちろん行政の姿勢もそういった電力会社の方針を支持し、政治も同様に呉越同舟で来たのでしょう。今回の福島第一原発における一連の事故は、事前に指摘されていた防潮堤のかさ上げや非常電源の配置変更など、津波対策の追加策を行っていれば防げた可能性があるとも言われています。しかし、東電も政治もコストがかかり過ぎるとして無視しました。その結果追加策にかかる何十倍もの支出を余儀なくされる事態を引き起こしたのです。こうした目先の利益の追求に終始した体質が今回の惨事を生んでしまったとも言えるのです。つまり、あちこち蜘蛛の巣のように張り巡らされた電線や、狭い道路を更に狭くする電柱もこのような体質の中で作られてきたのです。
 水道や下水、ガス、電話、電気のケーブル類を一括収容する共同溝は、都市の美観のみでなく安全と機能維持に大きな役割を果たします。多額の費用と設置場所の確保など課題は多い設備ですが、老朽化した各種地下配管の更新や地震対策などを考えれば、決して高く無い投資と思えるのです。50年100年をかけても行う価値のある都市設備ではないかと思います。そしてこの共同溝と電線の地下埋設を実現することで、安心と安全が保たれる都市が創られるのです。
 電柱と原発は繋がっていたというかなり無理のある話でした。

さて、今日は順調に変換できるようで・・・、まったく。