生かされない教訓

先週の17日は阪神・淡路大震災からの20年にあたるとかで、TVや新聞も特集、特番を組んでいました。いくつかのものを見たり読んだりしましたが、どうもしっくりきません。あまりにも感情に流されているというか、震災に遭遇した“人”に焦点をあたられた番組、特集ばかりのような感想を受けました。
地震や台風などの自然災害は、この国の言わば“個性”のようなもので、列島の地理的・気候的条件からすれば生活するうえでの前提条件とも言えます。しかし、自然災害はいつ来るか予測は難しく、おまけに不定期ですからつい後回しにして考えます。さらに私たちは世界でも稀なくらい忘れやすい国民性のようですから、過去の災害についてもすぐに記憶から無くなるか薄れてしまいます。それやこれやで行き当たりバッタ、泥縄式対応が自然災害の場合も行われやすくなっています。
阪神・淡路”の時はその被害の多くが家屋の倒壊とその後の火災によったものでした。大津波が襲った3・11と大きく異なる点です。家屋の倒壊が起きた第一の原因は震度7という激震が襲ったことで、それまでの耐震基準を超える想定外の揺れが老朽化した建物を直撃したことによります。密集した木造家屋の倒壊はその後の火災を誘発し、都市型大地震の恐ろしさを浮き彫りにしました。しかしこれらのことは1923年の関東大震災より以後何度も繰り返し指摘されていたことであって、都市部の直下型大地震への備えが万全であれば、その被害のかなりの部分を防ぐことが可能なものでもあったと思われるのです。火災の引き金になったと言われるむき出しの電柱、電線、都市計画を無視した無秩序な住宅の建設、延焼を止められない密集建築と狭い道路などなど、考えてみれば今の東京にそのまま当てはまる状況が、その当時の神戸にはあったのです。
向こう30年の間に70%の確率で直下型大地震に見舞われるというこの東京で、お気楽で暮らしている私たちは、いずれ神戸の被災者の二の舞に直面する事態をただ待っているだけなのです。そしてその時が来たら、被害あったことを悲しみ憐れんで泣き言を繰り返すのでしょう。目の前にある教訓を生かさないことは無知だけでなく犯罪とも思えます。

それは犯罪!