慣例

 今までの決めごと、慣れ親しんだしきたり、習慣などとも言いますが、この「慣例」というのはなかなか曲者で、根拠や道理、合理性に乏しくても「慣例ですので・・・」という一言で押し切られるケースが数多く有ります。
 国会の委員会などのテレビ中継を見ると、質問者と回答者がその都度立ったり座ったり、回答者は質問の都度に自席から出てきてまた戻り、といったなんとも間の抜けた光景が延々と続きます。その光景が原因かどうか分かりませんが、中味の論議も的外れな、デレっとした与太話のようなやり取りで、およそ論戦、討論などとは言えないものが為されているように見受けられます。まあ本人達はあれで精いっぱいのおつもりでしょうが、傍で見る限り今一つ迫力に欠ける、国の最高機関における議論とは思えない代物を見せられていると感じてしまいます。聞くところによれば、あの論議スタイルも「慣例」とかで、国会は「慣例」の宝庫だそうです。本会議での「動議」提案の若手女性議員などは、気のふれた方の雄たけびのようにも聞こえて、よくまあ、あんな声を人前で・・・と要らぬことまで考えてしまったくらいです。あれも「慣例」だそうで、どうも国会という世界は異次元の様子を備えた空間のようです。
 若手議員もたくさん居るかのように見えるのですが、そういった人達からの改革の意見が聞かれることが少ないのも気になります。やはり自分達は特権階級で、世間一般とは別の基準で動いている空間に居る、だから特殊な「慣例」も必要なのだと思うのでしょうか。まあそんなこと無いのでしょうが、もっとも合理的で迅速な議論と実行を要求される府が、私から見れば無駄な動き多い、「慣例」に縛られた世界と思えるのです。

慣例にしたがって寝ています。