電気事業者の見識

 東京電力が見せてくれた原発事故後の様々な対応は、今さら言うまで無いほど呆れたものだったけど、考えてみると電柱を建てて一向に憚らない電気事業者は、みんな同じような発想と見識の低さを兼ね備えた企業集団なのではないかと思う。
 原発同様に地震対策をないがしろにした電柱は、この国の置かれた地殻条件をまったく無視した代物で、電気事業という公共性の高い職種に携わるものとしては、まず排除すべき施設なのではないか。にも拘らずそれらを一向に改善すること無く、より安全で合理的な地下埋設という手段を無視し続けるその企業姿勢は、今回の原発事故を起こした体質そのものと直接結び付くと言える。国や自治体が非協力的であっても、電気事業者としての社会的責務を自覚するなら、電線の地下埋設は何をおいても進めるべき重要課題であるはずだ。何故なら、電気事業者は電気を創ると同時に送電しなければならない。送電を安定的に確保する手段としての電柱は余りに原始的すぎる。また、都市の構造、美観といった観点からも電柱や各種ケーブルの地下埋設は避けて通れない課題であり、そもそも電柱は電気というエネルギーが実用化された初期の発想であり、すでに一世紀以上を経てもそれを超えられないとするなら、電気事業者、技術者として恥ずべきことと奮起すべきである。国策企業としての驕りと怠慢の何物でもない。そういった基本姿勢が今回の事故を生む温床となった。
 とマア普段より思っている電柱の忌々しさについて開陳してみました。東電に限らずこの国の電柱好きには呆れてしまますが、地震と切っても切れない土地に暮らす者として電柱だけでなく、予想される災害に対応した都市づくり、街づくりをなんとしても進める必要を感じています。ただ、孔子の言葉“その職にあらざれば・・・”の通りで、暖簾に腕押し、糠に釘のやるせなさを実感するばかりです。

どうでもいいけど この頃私の写真のBSプレミアム化が進んでいない?