電信柱は利権の象徴

近所に新しい道路が開通して、こりゃ便利になったと思っていますが、なぜか電柱が両側にびっしりと並んで立っています。電柱の地中化が言われてすでに久しいのですが、一向に地中化は進まず、写真のように新設道路も電信柱が今は盛りと立ち誇っています。
都知事選候補者の中にもこの「電柱の地中化」を掲げている人がいます。けれど、たしかあの人が所属していた政党は、現在の街づくりを推進してきた政党ですから、あまり額面通りには受け取ることはできないのですが、美観上の問題だけでなく震災対策としても日常生活にとっても、電柱を地中化して町の安全性を高めることは緊急、重要な課題であると思われるのです。
電柱の地中化は「共同溝」の敷設という近代都市の“前提条件”とも密接な関係があるのですが、この「共同溝」もなぜか全く無視し続けられた「インフラ」なのです。これと同様な「インフラ」は、踏切の立体化あるいは幹線道路の立体交差化、送電網の地中化など、近代都市としての成立要件にかかわるものが多く、裏返せばこの国の都市は先進国ではまれとも言える非近代都市国家なのでしょう。
なぜここまで非近代化を維持しているのか、思うにこれは“利権”が絡んだ意図的な状況なんだと考えられるのです。要するに、電柱や信号の製造業者、中小の土木業者、水道、電気工事業者、そしてそれらの代弁者としての地方、国の政治家たちの、強固なシンジケートの上に成り立っている構造的な状況であると私は思っています。だってそうでもなければ考えられないですよ、年がら年中あちこち穿り返し、危険と言われている電柱を性懲りもなく立て続け、ガスや水道をその都度敷設するという無駄を繰り返す愚をまったく変えようとしないのだから、これはもう確信犯的な事態なんだと考えられるのです。
だいたいあの電信柱はやたら高価なんです。たしか1本当たり10万円前後でそのほかに敷設料やら何やらで数十万から場合によっては100万円もかかるというのですから、こりゃいい儲け口なわけです。けれども3K職場だから慢性的労働力不足らしく、そりゃそうだよね、あんなもの立てているなんて恥だもん、だから若い人は集まらないし従事する人は年寄りばかり。そのうち除染作業と同様に”やの字“の請負となってしまうのじゃないでしょうか。電柱はこの国の非近代化の、利権の象徴なのです。


どうですか、美しいでしょう、電柱の乱立が・・・。まったく。


電柱がなけりゃこの通り・・・