「ペット」

 愛玩動物、愛玩する、愛情を注ぐなどの意味が有ると辞書には書いてあります。我が家に居る「ペット」はそういった意味をさらに進めた「愛人」と呼ぶにふさわしい状態となっています。もしくは「マイ・ロード」でしょうか。とにかくいつも写真でお目におかけしている美にゃん子ですから、もうメロメロとなってしまっている訳です。
 欧米人とくにキリスト教圏の人達は、「ペット」に対して常に優位を保った態度で接しているように見受けられます。キリスト教では、神、イエス(神の子)、ヒト、動物・・・と言ったヒエラルキーが厳然として有り、動物にヒトがお仕えすることなど考えられないことなのでしょう。日本では「生類憐みの令」によらずとも、ヒトも動物も虫も草も花も万物はみな同じといった考えが根底に有ります。「輪廻転生」という仏教思想がそれらの背景に有ると思われます。したがって、「ペット」に対しても身内、家族、もしくは子供といった扱いが自然で、“ほらお父さんより先に言ったらダメ”などと公園でイヌに注意している人を普通に見かけます。ヒトとイヌが結婚したような錯覚を覚える光景です。TVでもヒトの家族にイヌのお父さんというのが有ります。“You Tube”などでは我が子を撮るような気持ちでにゃん子を撮影しているものが山ほどアップされています。この手の動画は日本人によるものが多いのだそうです。私達の概念ではヒトも他の動物も同じ土俵の上で生活しているのが自然なのです。
 「ブリーダー」といういかがわしい商売が横行していますが、あれもイギリスやアメリカなど欧米から入ってきた商売です。「ペットショップ」という商売も胡散臭いものです。これらはみんな欧米からやってきたようです。特にブリーダーというのは血統を云々する非常に排他的な思想によって支配され、これは一時期欧米でもてはやされた「優生学」と同一のものです。ヒットラーがこれを実践していたのは有名なことで、第三帝国が勝利していれば、私達モンゴロイドのような「劣等民族」は地球上から抹殺されていたかもしれません。ヒトも含めて生き物をあれこれいじくり回すのは天向かって唾すると言うか、あまり感心できることとは思えません。

愛人なんだから それにふさわしい寝方をしてくれないと 私の立場もあるし・・。