進化論 その3

 ところで、進化論がいまだに信じられていないと言う信じられない事実があります。キリスト教イスラム教の国の国民の半数、もしくはそれ以上が進化論について否定的考えを持っていると言います。日本ではごく普通に教育の場で、ダーウィンの進化論やメンデルの遺伝の理論を取り上げます。私達はそれを正しいものとして受け入れ、大学や研究の分野でも一般的には肯定的に扱っています。しかしアメリカでは40%以上の人達が進化論に否定的で、州によっては学校の授業では取り扱わないところもあると言います。ハイテクと科学万能を身上とするアメリカがそうなのです。もちろん研究者やバイオテクノロジーの関係者はそう言ったことは無いと思いますが、キリスト教徒は神の教えとの齟齬に深刻に悩むそうです。宗教的にはまるで解放区の私達には考えられないことでもあります。
 私の進化論に対する疑問は宗教的なものとは異なり、進化の過程を見ることが出来ない不満が原因となっています。おそらく脳の構造が単純で「見ることは信じること」と言う諺の範囲を抜け出られないのです。最新の宇宙物理学や量子物理学は目で確認出来ないことばかりです。数学や類推により出てくる結論を正しいと信じることしか納得する方法は無いように思われます。ある意味宗教的です。神学論というのは神が居ることを証明するのではなく、居ないことを証明できないと証明する学問と聞いたことがあります。進化論も最新の物理学も理論的に齟齬が無く、論理的に整合性が取れていれば(この“理論的に齟齬が無く”と“論理的に整合性が・・・”は言ってみれば同じことの繰り返しでコケオドシですが、これをやるといかにもそれらしく見えるので採用いたしました)、今の段階としては納得することが最上の結論と言えるかもしれません。

進化のなれの果て