少し長い話となりますが・・・その1

私は今年で○歳となり、もうすでにいつ死んでもおかしくない年齢に入ったと言えます。もちろん平均寿命は80歳近くですから、それから見れば“早い”となるのでしょうが、一昔前の寿命から見ればそれほど早いとは言えず、生物学的には生殖適齢期を過ぎればいつ死んでも早くないとも言えますから、○歳という年齢は“いつ死んでもおかしくない”年齢となるのです。
私たちの国の高齢化が急速に進んでいることは、すでにかなり前から言われてきました。「超高齢化」などとも言われます。高齢者が増えることは死者が増えることで、交番などに以前「昨日の交通事故死者数○名」という掲示がありましたが、あれと同じような「昨日の老人の死者数○名」といった掲示が保健所辺りで出るかも知れません。まあそれは冗談ですが、死者の数も急速に増え、病院や火葬場、お寺などが忙しくなることだけは間違いないと思います。
生物の寿命は長い短いの差はあっても何時かは尽きます。そして寿命の尽き方はほぼ四通りに集約されます。まず自然死、次に病死、事故死、最後に自殺となります。自殺以外は本人の選択が儘ならない終わり方と言えるでしょう。殺人や死刑によって寿命を終える時もありますが、広義の意味で事故死として括ってよいでしょう。病死は事故死と同様に本人の意思とは関係なく寿命を終える死に方ですが、不摂生や暴飲暴食といった自らの責任による原因も多く、また予防医療によってある程度は防ぐことも出来る側面もあります。ですから、自らの行為と不注意で寿命を縮めるという意味からいうと、ある種の病死は自殺に近いとさえ言えますが、本人の意思ではない死の迎え方でもあるので自殺とは区別できるでしょう。

自殺はヒト以外の生き物ではないと言われています。「飛んで火に入る夏の虫」というのはありますが、あれは自殺ではなく光に吸い寄せられる習性です。「死」という概念を持つことが自殺という行為の前提になりますから、高次に発達した思考回路を持つヒトのみが行うものとなるでしょう。私も死んだことがないので「死」がどんなものか知る由もないのですが、宗教を信じている人たちには天国やら地獄、極楽などが用意されているみたいです。私は無神論で、もちろん無宗教者ですから、それらの恩恵には預かれずに死んだ時点で一巻の終わりとなるのでしょう。しかし、天国や極楽が用意されていると言っても、見た人もそこから帰ってきた人もいないのですから眉唾でしかなく、献金やお布施をふんだくる為の方便とも言える訳で、結局のところ本人の自己満足のみの世界と考えて差し支えないでしょう。
生物である以上「死」を避けることが出来ないとしたら、また「死」を概念としてとらえることが出来るヒトという種であるなら、選択できる「死」、自殺をもう少し肯定的に考えてもよさそうな気がします。キリスト教社会では自殺は罪であり神を裏切る行為とされます。自殺者の埋葬は教会では行われず、キリスト教徒にとっては天国への道を閉ざされた扱いとなるのです。仏教では「即身仏」などがあるように、修行のひとつとして自らの命を縮める、傍から見れば自殺と同じ行為があります。もちろん自殺を奨励したりはしませんが、キリスト教のように全否定することはないようです。
 

また長いの