“神”のこと

言うまでもなく私は無神論者ですので、神も仏もご縁がありません。外国で暮らすと無宗教というだけで白い目で見られる、といった話も聞いたことがあります。おそらく世界中で私たちほど宗教に関わりの少ない国民も珍しいのでしょう。もちろん様々な宗教上と思われる行事は盛んです。とくにこれから年末年始にかけてはその手の行事が目白押しで、ハローウィンから始まりクリスマス、大みそか除夜の鐘、初詣、お墓詣りと、神も佛も一緒くたの忙しさです。しかし信仰と結びつく行動かというと、これが全く心許ないというか、その場限りというか、考えようによっては神や仏さんから苦情が来てもやむを得ないという状況でもあるのです。そういった面倒な事情は脇に置いといて、そもそも“神”なる存在は何時ごろから私たちヒトの前に現れたのでしょう、という疑問が今日のテーマです。
つらつら思うに、このテーマは人類の共通かつ普遍的な内容を含むとんでもない問題であり、私ごとき者がおいそれと語れる分野ではないことは重々承知しております。しかしまあどうせ与太話のつもりですので、そんなことは気にせずに考えてみましょう。
キリスト教の神学では究極目的が「神が存在しないことの証明」と言いますから、すでに神は存在することを前提にすべてのプログラムが組まれていると言っても過言でないこの世界です。何故ならキリスト教イスラム教も根っこは同じですから、世界の宗教人口の半数以上は神が存在することに疑問を持たない人たちとなります。仏教やヒンズー教では“神”という概念がキリスト教イスラム教徒は違うらしく、多神教と言われる括りとなるようで、「八百万」の神様が居たりその道の専門的な神様が居たりします。どっちにしても“神”という概念の超越した力もしくは存在については認めているのが宗教のようです。しかし宗教が生まれる以前にもヒトが及ばない存在を認めていたらしく、具体的には太陽や月といった自然の恵みをもたらすもの、台風や雷、地震といった恐ろしい災害をもたらすものなどが畏怖や崇める対象となっていたはずです。
話は全くずれますが、私の文章では「…ような」あるいは「…らしい」、「…と言われている」といったフレーズが多用されています。これはすでにお気づきのように、私の文章が確かな論証や裏づけとはあまり縁がなく、大体が推測や思い付きで書いていることの証です。これらを踏まえてご覧ください。          つづく  
 
 私のこと?