眺めせし間に

60歳になった時、あと10年を好きなように生きられれば人生勝ち組、と思っていた。

定年退職後2年間の週休3日勤務を生活のためにこなして、62歳から働かないで生活できる結構な身分となり、70歳までの8年間をそれなりに満足感をもって過ごせたと思う。だから70過ぎは“おまけ”と考えていた。しかし75歳になっても、いわゆる老後と言う意識が現れず、体のあちこちは歳相応に草臥れていくけれど今一つ老人の実感が生まれない。これが良いことなのか悪いことなのか、時々自問してしまう。

 自分と同じ時代を過ごしてきた有名、著名の人が、もちろん無名の人も次々と他界していくことに、近頃ではよく気づくようになった。平均寿命が延びたと言っても70歳後半になるとポツポツと消えていく人が増えてくる。つい先日も私より若い坂本龍一が死んでしまうし、と言っても彼と面識がある訳ではないので弔電も打たず葬式にも行かなかったが、とにかく同時代を生きた人たちが次々と消えてゆく。これはかなり寂しいことで、少し古い映画やドラマなど見ると、もう死人ばかりが目立ってやりきれないというか、私もあの仲間に入る時が迫っていることを、改めて考えさせてくれるのがやるせない。まあ、ミック・ジャガーやアル・パッチーノのように子供まで作る元気なのもいるから、年齢は関係なく若い女の子といちゃついていれば良いのかも知れないが、その体力も経済力もないものにとっては高齢者の未来が明るいとは言えない。しかしミックやアルのような人生が理想かと言うと必ずしもそうとは言えず、“スケベが枯れるといい男になる”の例えもあるから則天去私のような境地こそがあらまほしいとも言える。つまり、なるようになっていけば良いと言う・・・。

 食うに困らず、病に侵されず、ひねもすのたりと日々を過ごすこと、多少の心配事や気苦労は潤滑剤と割り切ってしまう、そう言う老後に私はなりたい、などと上手くいく訳はないよなあ。世の中眺めせし間に時間は経つし、後悔ばかりがわが身に降りかかるんだよなあ、小町さんだけじゃないんだよなあ、まいったなあ・・・・・・・・・・・・・・・・・