ベートーベン ピアノ協奏曲5番

 「皇帝」と呼ばれるピアノ協奏曲でもう耳に胼胝ができるほどに聞いた。華やかなピアノの乱れ打ちとも言うべき出だしで始まるこの曲は、もう私にぴったりで、葬式の時に、もちろん私のだが、この曲をガンガン流して派手に送り出して欲しい、などと思ったりもする。しかし私は葬式などというものはしないし、させないのでそういった局面は起こりえない。また、死んでしまえば本人は何を流されても分からない訳で、ピアノ協奏曲だろうとチャンチキおけさだろうと大差はない。
 何を訳の分からないことを言っていると思われそうだが、実はこのタイトル「ベートーベン・・・」はかなり前に、タイトルだけ付けてそのままにしてあったものだから、もうそのタイトルの言わんとしていることが解らないという、実に面白い馬鹿々々しさになっているのだった。冒頭にも書いたように、このピアノ曲は主にアシュケナージ演奏のものを繰り返し聴き、第2楽章から第3楽章に移る、あの切れ目のないようなオーボエの長吹きからの、ピアノのダダダーンという切り込みは、いつ聴いても緊張感があって飽きが来ない。オーケストラとの絡みも絶妙で、“後ノリ”風のピアノとも掛け合いは痺れまくる。あのグレン・グールドもこの曲を演奏しているが、私は“裏で見る 足毛無し”のものがお気に入りだ。やはりこの曲は華やかで賑々しくなければならない。
 このところ私はピアノソナタ、それもシューマンにかなり傾倒していて、ややこの「第5番」とは疎遠気味だが、何処からかこの曲が流れてこようものなら、足を止めて聴き入るだろう。そしてピアノはヤマハではなくスタインウェイで弾いて欲しい。この点でもグレン・グールドさんと趣味が分かれる。うちに置いてあるピアノはヤマハの年代物だけど。
 と、ここまで書いてきてもなぜこのタイトルであったのか思い出せない。何かこの曲に繋がるものが有ったんだと思うのだけれど、もう記憶にない。“この頃よくあるんだ・・・”という例の台詞ではないが、やはりあちこち、腰や膝だけでなく頭の中身にも加齢による現象がデテイルヨウダ。まあ仕方ないかと独りごちる。今年もあと二月となった。

先月登った大蔵高丸からの新雪の富士