交響曲 第7番

何も故吉田 秀和さんに対抗しようなんぞという大それた考えは持っておりません。ただこのベートーベンの第7交響曲についての感想を、ちょこっと書きなぐってみようかと思いついたのです。
ご案内のように、やれ「運命」とか「皇帝」とかの副題がついている交響曲や協奏曲が多い(でもないか)ベートーベンの中で、さっぱりと何も飾りのない「第7番」ですが、吉田大先生によれば“交響曲の充実と成熟との最高の均衡を見出す・・”との評価をされている傑作でもあります。私が「第7番」を初めて聞いたのは30代前半もしくは後半であったか、すでに記憶は定かでないのですが、かなりオク手であることは間違いありません。おまけに生演奏ではなくCDによるものでした。演奏はフィルハーモニア管弦楽団で指揮はアシュケナージ、あの頃私はアシュケナージが好きでした。「裏で見る 足毛なし」とダジャレで呼んだ人も居ましたが(ついでに申しますが、モーツアルトの「コシュファントュッテ」は“腰巻取って”などとフザケテおりました)、ウラジミール・アシュケナージはその後N響にも常任指揮者として在籍し、生の指揮も見ましたが「第7番」の演奏は聞けずに今日に至っております。で、この「第7番」のことですが、私の感想では海の情景がイメージされる交響曲だったのです。「海」と言えばドビュシーが有名ですが、ベートーベンの「第7番」も打ち寄せる波のイメージが強く感じられます。ただドビュシーと違うのは、情景的な海ではなく、精神的な、内面的な心の変化を海のリズムで表現しているというか、とくに第2楽章の静謐なリズムの繰り返し、第3楽章の打ち寄せるかのようなメロディーは、まさに波を感じさせられます。繰り返すようですが、それが情景的ではなく心象的な部分に同調する訳ですよ、これが(よく分からないけど)。音楽家というのは何とも不思議な力を持った人達であるとつくづく思わされたのでした。
今では演奏会に行く機会も少なくなり、もっぱらCDの御厄介となっていますが、「第7番」を聞くと初めて聞いた時と同じように海のイメージが広がります。それにしても、やはり書いてみると大した感想ではないですなあ。
 
 そうやっていつも寝ているから