地球という乗り物

安全、快適、運賃無料その上で超高速の乗り物。飛行機だって新幹線だってもう勝負にならないほどの速さで年中無休の定時運行。ただ余りにでかくて掴みどころのない乗り物なので、つい乗っていることを忘れてしまう、時々大きく揺れたり水が出たり風が吹いたりするけど、注意していればこれほど安全なものはない、地球はそんな乗り物と言えます。
私たち地球の生き物は、この地球の表面に張り付いて暮らしているのですが、地球は音速より早い時速1600キロ強(赤道付近)で自転していることに無関心です。それどころかさらに速い、太陽の周りを時速10万キロ以上のスピードで回っているという事実を感じるこさえありません。大地は不動で安定感のあるものというのは幻想でしかなく、ものすごい速さで回転し動いているのです。ついでに言えば、太陽はこれまたものすごい速度で天の川銀河を回っているのであり、その天の川銀河はとてつもない速度でいずれかにぶっ飛んでいるらしく、もう宇宙に不動なんてものは存在しないと言えるのでしょう。
と言ったことを前提に物事を考えたり見たりするなら、まさに一寸先は闇で何が起こるか何があるか全く不明で、“ケセラセラ なる様になる 先の事など分からない”のであるから、計画だとか予測だとかはある意味無用で、その日暮らし、行き当たりバッタのライフスタイルこそ地球という乗り物の乗客にふさわしいとも思えるのです。事実ヒト以外の生き物はそのように生きているように見えます。
ヒトが木から降りて森から出て草原に立ち、道具を使いだしてからどのくらいの時間が過ぎたのか、数十万年あるいはそれ以上だとしても地球史から見れば最近の出来事です。地球上の生き物のヒト以外すべて、地球時間のその全てといって良いくらいの時間は、“ケセラセラ”で来ているしそれ以外はあり得なかったとも言えるのです。きっと地球だけではない、全宇宙の法則はこの“なる様になる、先に事など分からない”というロジックに基づいて動いているといって差し支えないでしょう。相対性理論も波動原理も、不確実性理論もなんぼのもんじゃい、ハウマッチというレベルなのです。
コップの中でドンパチしたりあれこれ言い争っても意味がないことだし、意味のあることなんてこの宇宙にはないのでしょう。地球という乗り物はそういう世界の乗り物なのだと思います。


このところ陽ざしが少ない