ライ麦畑の捕手

J.D.サリンジャーの伝記物を読んでいると先週書きましたが、例の「ライ麦畑でつかまえて」という本の題名が何処から来たのか気になっていました。やはり本文の中にそういうセンテンスがあったのです。この伝記物を読んでやっと解りました。本文では逢引きで有名なイギリス民謡「麦畑」のやり取りがあって題名のセンテンスが出て来るのですが、でもなんで“つかまえて”としたのか、原文ではあくまで“The Catcher”であって、文の流れからしても“つかまえて”というような意味合いではないように思えます。あえて直訳すれば「ライ麦畑の捕手」となるのですが、まあしかし、これでは草野球の話のようにも思えますし、翻訳した人と出版社が考え出したチエというかセンスだったのでしょう。村上春樹の最新訳では原題がそのままで、カタカナ表記(頭の“ザ”は抜けていますが)をつけています。
このサリンジャーという人は、短編をかなり発表しているようなのですが、その題名が何か変わっているというか、例えば「バナナフィシュにうってつけの日」とか「週に一度くらいでは死にはしない」のように短編らしからぬ長い題名をつけたものが多いのです。これも翻訳の都合なのかどうかその辺りは不明なのですが、「ライ麦畑でつかまえて」という題名も、きっちりと読めば作者の思いの中から出てきたものと解るのですが、なにか唐突なものという印象が最初にはありました。
伝記物というのはあまり読んだことがないので、イアン・ハミルトンの本の出来は良いのかそうでないのか何とも言えませんが、J.D.サリンジャーという特異な作家の一端は垣間見ることが出来ました。近々「The Catcher in the Rye」を再読してみようと思っています。

捕手だって、馬鹿みたい・・・